だむち~だって無知なんだもん~

底の浅い私、さくらだ が気になった主に漫画やアニメ、ゲームをぐだぐだと語っています。

コミック『五等分の花嫁』を読んでみた⑩

11.『五等分の花嫁』はラブコメ風ミステリー説


少し寄り道しちゃいましたが、そんな訳で、私は「これはミステリー要素を取り入れたラブコメじゃなく、ラブコメ要素を取り入れたミステリーなのではっ!?」と思ってしまったのです。


この仮説を立てると、実は個人的に3つの違和感が解消するんですよ。
A.心情描写を見せない風太郎
B.計算され尽くされた伏線と回収
C.不規則に提示されるウエディングシーン





A.心情描写を見せない風太郎


これは分かり易いです。
これまでに書いてきた通り、五つ子はすぐに感情移入できるのに、心情描写に乏しい風太郎はどうしても、入っていく事ができませんでした。


これは私の思い入れや共感性が低いのかな、とも思ったんですが、この仮説が正しければ、感情移入しないのが正しいことになります。


なぜなら、風太郎は推理小説で言えば探偵であり、探偵はむやみに自分の感情を吐露して読者の推理を乱してはいけないのです。


”16.余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌は省くべきである。”
 ※ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「ヴァン・ダインの二十則」より


しっかり風太郎に感情移入できている方、すみません!
個人的な見解ですのでご容赦ください。



B.計算され尽くされた伏線と回収


五姉妹は、登場当初、いつでも仲良し五人組として描かれています。


ところが、三玖が実は戦国武将好きを隠していたというかわいいところから始まりつつ、徐々に、五人が決してお互いに隠し事のない五等分の存在ではないことを見せるようになります。


ここまでは、ラブコメでも別におかしくないのですが、その見せ方が独特のような気がするのです。


テスト勉強、文化祭では5人を一人ずつ時系列で追いつつザッピングの手法を交えて立体的に行動を描写しています。


一方で、旅館では、あえて一つの時系列に5人の行動をのっけて自然な流れの中でストーリーを進めています。



・・・いや、不自然ですよね?



普通、ラブコメでこんなに時系列に気を遣いながら話を進めない気がします。


従来のラブコメでしたら、感情移入をしやすくするために、時系列がどうこう、なんて部分に読者に脳の容量を割かせないように、シーンの見どころをかっちり決めて「さあ、この順番に読めば登場人物の気持ちが分かりますので感情移入してください!」となるんじゃないかと思います。(単純すぎ?)


それが、『五等分の花嫁』では、ストーリーの端々に「ん?」と思いとどまらせるシーンや台詞が出て、ついつい読み返してしまう。



巧妙なのが、別にそこを読み飛ばしてもストーリーとしては全然つながっているので、ぱぱぱっと読むと普通のラブコメとして読めちゃうんですよね。


どうしてこんな仕掛けをしているんだろう、と思ったんですが、
これをミステリー漫画だと解釈すれば全ては納得します。



ミステリーは、しっかりと証拠を提示しておきつつ、読者に気づかせないというのがその真骨頂です。『五等分の花嫁』はまさに、このさりげない証拠提示を、読者に気づかれないように毎話、毎話積み重ねているんです。


ラブコメとして読んでる人と、ミステリーとして読んでる人、同じ内容なのに、両者に異なる風景を見せている、『五等分の花嫁』すごい作品です。



いや、仮説なんですけどね。



C.不規則に提示されるウエディングシーン


ようやく、『読んでみた③』で触れたウエディングシーンについて、振り返るところまで来ました。


端的に書いてしまうと、あのウエディングシーン、登場パターンが
なんか不自然なんですよ。


毎回、話の最初にでてくる訳でもなければ、イベントが発生している時に急に呼び起こされてくる回もある。かと思えば、話の締めに登場するパターンもあります。


とにかく、出てくるタイミングが不規則です。



まあ、ラブコメとして読むのであれば「イベントで盛り上がったタイミングに合わせてウエディングシーンのワンシーンを挟むことで、結婚への階段が一歩進んだと実感させているんだ」という解釈もできます。


ただ、ミステリー漫画だという仮説を立てると別の一面が見えてきます。



ミステリーでは、場面転換をする際に、幕間を用意する手法があります。


例えば、推理ものや怪異もののドラマで、冒頭やドラマ途中に、作品の枠から出て情報や謎を視聴者に語ってくれる「案内人」と呼ばれる存在をご存知でしょうか。


あるいは、推理小説で、一連の殺人事件が起きたあとに、いったんストーリーから外れて、作家が「君にはこの謎が解けるだろうか」と問いかける、いわゆる「読者への挑戦状」という手法を読んだことがあるでしょうか?


ウエディングシーンは、この手法のために使われているのではないかと。



と大文字で書いても、これを読んでいきなり「おお、そうか!」とはなりにくいかと思いますので、もう少し仮説を進めようと思います。


このウエディングシーン、この作品では大きく3つの目的で使われているのではないかと考えています。(すみません、なんか3つが好きなんです・・・)



1)現在時間の進行表示


これは見たままです。
考えてみると、高校生時代、さらには小学生時代というのは、現在行われているウエディングから見ると全部回想シーンなんですよね。


ただ、その回想シーンがやたら長い
長い上に、小学生時代という回想の回想シーンまではさまってきます。
あまりの長さに、ともすれば、現在時間は高校生時代であり、ウエディングシーンは未来予想なんじゃないか、なんて考えてしまいそうです。


それでも、この話の今(現在)は、やっぱりウエディングシーンなのだと思います。


だからこそ、高校生時代はそれぞれの回想シーンとして、期末テストや文化祭では、5人分、5回繰り返しても成立しますし、ウエディングシーンは時系列に沿って進行しているのだと思います。(あ、でも第1話は、少し時間が戻ってるか・・・)



2)ヒントの提示


『読んでみた③』でも書いたとおり、ウエディングシーンは少ないんですが、現在の場面なだけあって、誰が花嫁なのかを推測する重要なヒントがちりばめられているのではないかと思っています。


残念ながら、私は鈍くてそのヒントを読み解けてはいないのですが、ちょっと思い返しても、11着のウエディングドレス、風太郎のミサンガ、後回しになった指輪交換、その他にもちょっとした会話の一つ一つがヒントになっているような気がしてならないです。


あー、浅はかな自分がうらめしいっ



3)場面転換と読者への挑戦状


これはかなりの確率で私の妄想ですが、ウエディングシーンって基本的に過去の回想(高校時代)のイベントとつながっていますよね。
一番わかりやすいのはやっぱりベル&キスのこのシーンでしょう。

右側は旅館での回想シーンとなる「誓いの鐘」、左側は現在のウエディング。
この並びなので、まあ、普通に考えたらシンクロしているはずですよね。


でも、本当にこの二つは連結しているのでしょうか?


左右では時間も空間も違います。そして「あの日」「あの瞬間」という抽象的な指示語。
ラブコメならつながってないと「何で?!」となりますが、


これがミステリーなら。


もしかすると、ただの場面転換で、二つのシーンに関係はないのかも知れない。


・・・さすがに考えすぎでしょうか。


そして、こんな感じで大事な場面でウエディングシーンに場面転換するたびに、作者は私達をラブコメの世界からミステリーに引き戻して、こう問いかけてくるのです。


「さあ、ここまでで、だれが花嫁か分かったかな?」


もちろん、ここまでで正解を導き出すパーツは揃っていないので、「花嫁の正体が分かったぞ!」という人には、後でお話の中で「ハズレ」というしっぺ返しを食らわせることになります。



こうして、どこまでのヒントから花嫁を推理すれば良いのか、読者がいよいよ道標を探し疑心暗鬼になっているところで、


ついに、本当の「読者への挑戦状」が突きつけられるのです。



・・・って考えたら、さらに楽しくなりませんか?


ということで、ウエディングシーンの不規則な登場も、ミステリー漫画として盛り上げるためのギミックではないかと思っていたりします。


(つづく)


※本記事で掲載されている画像は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しています。

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