ゲームブックの煌めき、再び?④
タイトルのゲームブックについて、まだほとんど語っていない さくらだです。
4回目も、寄り道が楽しくて、まだまだ語らなそうです(笑)
8.PCの世界を一気にホビーに引き寄せた双璧の雄
さて、前回に引き続き1980年代初期に登場した雑誌、今回はパソコン雑誌について見てみたいと思います。
パソコン雑誌、というと、PCの性能や活用方法、あるいはプログラミングを案内するように感じますよね?
実際、「マイコン」という言葉が「パソコン」という用語に切り替わってきたこの時期に登場した「I/O」や「月刊アスキー」、「月刊マイコン」という黎明期の雑誌では、多くのページを打ち込み用のプログラムリストにあてられてことも多かったようです。
ただ、ここで紹介したいのは、そんなインテリジェンスな精密機械を、いとも簡単にホビーとサブカルの世界にに引っ張り込んだ、強力な娯楽系パソコン雑誌2誌です。
それが、「月刊ログイン」と「月刊コンプティーク」です。
これに、創刊は他の二誌よりも早かったものの、ややテーマ性に紆余曲折があり、結果的にやや後手を踏むことになった「ポプコム」「テクノポリス」を加えた4誌が、パソコン雑誌、というよりはゲーム雑誌の主力となっていきました。
9.情報とコミュニティーのバランスが絶妙だった「月刊ログイン」
- LOG IN (ログイン) 2008年 07月号 [雑誌]
- エンターブレイン
- 本
ログインの強みは、「海外PCゲーム情報収集力」「幅広いソフトハウスとのコネクション」「ブラックな職場を隠さない攻めの記事掲載」といったところがあったかと思います。
ちょっと、穏やかじゃないフレーズも含まれていますが、これらが集まって記事になっている姿に読者は魅力を感じていたのではないかな、と。
1.海外PCゲーム情報収集力
例えば、この時代、当然ながら、PCゲームは海外が完全に先行していました。
年表では、国内での販売時期をもとに、「ウィザードリィ」の発売時期を1985年としましたが、本国の発売はそれよりもずっと以前です。
1979 AKALABETH(「Ultima1」の前身となる作品)
1980 ROGUE(いわゆる「ローグ系」と言われる由来となるRPG)
1981 Ultima1、Wizardry
というように、すでに日本のパソコンでRPGがブームになる4年ほど前には、主にアメリカで流行が始まっていたことになります。
ですので、日本のゲーム、とりわけRPGを現在、未来と幅広く取り扱うためには、海外ゲーム情報をいかにキャッチしているか、というのも重要な要素でした。
ログインは、海外ソフトハウスの取材を含め、「ウィザードリィ」「ウルティマ」あるいは「ブラックオニキス」など、いち早く海外ソフトに対してアンテナをはっていて、それがRPGを中心としたゲーム情報誌としての魅力を引き立てていたように感じます。
2.幅広いソフトハウスとのコネクション
ログインといえば、ソフトメーカー対応でプログラムを競い合う企画、通称「ソフリンピック」の存在は外せないかと思います。
ゲームが生まれた背景には、それを作り出したソフトハウスがいる、という当たり前のようでスポットライトが当たりづらい製作者の顔を積極的に記事にする、さらには各社からショートプログラムのゲームを出してもらう、という企画は、ゲームの遊ぶ楽しさだけでなく、作る楽しさまで広げた懐の深い情報誌として、ファンに刺さったんじゃないかと思います。
その後も、この企画は人気を受け「ソフトハウス紀行」として恒例化されていました。
3.ブラックな職場を隠さない攻めの記事掲載
もう一つ、ログインの雑誌構成で見逃せないのが、編集スタッフを前面に出すスタイルでしょう。
特に、1984年の小島編集長が担当するようになってからは、本人も「酔っ払いキャラ」として登場するなど、スタッフにニックネームをつけて、読者との距離を一気に詰める記事を次々と出したことは、PCゲーム人口増加にひと役買ったのではないかな、と思っています。
ログインは1990年に第100号を迎え、その記念記事では「ログイン用語の基礎知識」というコーナーがありましたが、ここでも、ニックネームで呼ばれた編集者がかなりの項目数を占めていました。
この編集者の方々、時には過酷な仕事を任され、会社で寝泊まりすることも辞さない姿も隠さず記事に取り込んでいました。会社でいかに快適に寝るかで「机寝り」「椅子寝り」「床寝り」といった言葉が普通に使われる姿に、読者は記事のガチ度を感じたのだと思います。
そういった、編集スタッフの顔を積極的に見せたことも相まって、当時のログインが打ち出す企画には読者参加型の色合いも非常に強く、ログイン秘密情報部員が集う「ヤマログ」(PCとは関係ない)、毎回テーマを設けて真面目にバカ議論を行う「バカチン市国」(PCとは関係ない)などなど、あまりに濃い内容は、その後、それだけで一冊の書籍にまとめて発売した「バカ記事大全」として販売される、という集大成まで完璧でした。
ちなみに、国内最大の家庭用ゲーム情報誌「ファミ通」は、もともとはこのログインの1コーナー「ファミコン通信」から派生したことは有名ですが、その中の読者参加の名物コーナー「ファミ通町内会」も、このログインのテイストを色濃く受け継いだことはごく自然な流れだったと思います。
そういった、当時のログインの中で、もう一つピックアップしておきたいのが、1985年9月、1986年9月に掲載された「JANKENS&DRAGONS」というライブRPGの企画です!
これは、ログイン編集部のビルをダンジョンに見立てて、部屋や階段にいろいろな謎や敵を配置した中を、編集スタッフが冒険者のコスプレをしながら、謎解きやジャンケンを使った戦闘を行う、という内容でした。
なんと、40年近く前に「脱出ゲーム」の原型ともいえる内容を記事にしていたことになります!
このあたり、PCゲーム雑誌でありながら、ライブRPGというアナログな楽しみ方にも目を向けていた点、「面白ければなんでもやる」という意欲に舌を巻きます。
ただ。
このログインにして、ゲームブックにまでは手を広げていなかったように思います。そう思う理由は、ゲームブックの対抗馬としてはすでにRPGがあり、さらにはアドベンチャーゲームの存在があったからです。
アドベンチャーゲームは、主人公の行動をテキストや映像で、入力・選択することで物語が進む形式のゲームですが、1983年にはPC版「オホーツクに消ゆ」が発売されていました。
「アドベンチャーゲーム」では、ゲームブックの特徴である「自分が主人公になり」「分岐するストーリーを追って」「戦闘や謎解きを行う」というすべての要素を満たしているため、ことさら強調点がなかったのかもしれません。
面白いことに、この「オホーツクに消ゆ」もファミコン版が発売されたあと、なんとゲームブック化されていたりします。
10.打倒ログインのために、模索し続けた雑誌コンプティーク
コンプティークは、1983年に刊行、その後、隔月刊を経て、1986年に月刊化された、PC、ゲーム、美少女系を中心としたメディアミックス誌です。
個人的に、ログインの結構後でコンプティークが出てきたのでは?と思っていて、表を作りながら少し首をひねっていたのですが、
なるほど、私の理解が浅いだけでした・・・
雑誌、特に専門系の雑誌は、別誌の増刊号からスタートして、そこで反響が大きければ不定期刊行で様子を見て、そして最終的に定期刊行という事例はよくありますが、コンプティークもその流れで「月刊コンプティーク」になっていました。実は、ログインも「月刊ログイン」になったのは1983年から。
ということで、これをもとに年表を作り直すとこうなります。
「月刊コンプティーク」が「火吹山の魔法使い」より後ろになっちゃいましたが、ただ、これで、個人的には時系列的にもなにかしっくり来た感じがします。
そして、こうして「月刊ニュータイプ」と「月刊コンプティーク」がならぶことで、共通の出版社である角川書店が、この時期にサブカルチャーを対象としたメディアミックス戦略に乗り出した感をひしひしと(勝手に)感じました。
ちなみに、この「ニュータイプ」と「コンプティーク」には他にも共通点がありまして、どちらもテレビ番組情報誌「ザテレビジョン」からの派生(別冊、増刊号)だったりします。
このあたりにも、1970年後半から角川書店が取り組み始めた、「原作をアニメ、映画、ゲームに展開することで原作の価値を高める」というメディアミックス戦略の具体的な動きが見て取れます。
さて、さすがに脱線が過ぎましたので、寄り道に戻ります。
コンプティークの特徴は、アンダーグラウンドを辞さない読者ニーズの掘り起こしにありました。
と言っても、黎明期のPCゲーム業界は、まだルールの線引きもしっかりと行われていない状態で、例えば、「中古ソフト販売の取り扱い」一つとっても、今とはまったく違う次元で違法性について論じられている時代でした。
そんな中、コンプティークが見つけたユーザーニーズは
チートとアダルトでした。
「ゲームを楽に進めたい」「Hな画像を拝みたい」という欲求は、今も昔も変わらず、ということで、コンプティークは「改造コードの紹介」「アダルトPCゲームの画像掲載」という路線で、読者の支持を増やしていきました。
アダルトPCゲームの紹介は、その後、袋とじページにして「福袋」と名付けることで、よりお宝画像感、秘匿感を増して、商魂の逞しさを見せつけましたが、メディアミックス戦略から見ると、当時コンプティークの果たした役割は別のところにもあったかと思います。
それは「連載マンガ」「読者参加型小説」そして「TRPGリプレイ記事」です。
連載マンガでは、「サイレントメビウス」の作者、麻宮騎亜さんが「神星記ヴァグランツ」を掲載、その後、日本ファルコムの「ロマンシア」「イース」を原作としたマンガを連載し、PCゲーム雑誌とマンガの相性の良さを証明しました。
小説では、「聖エルザクルセイダーズ」が、毎回謎解きを示しながら話を進めるという読者参加感が特徴的。松枝蔵人さんの、記事の構成で時には横書きになることも意識した読みやすさ重視の文体は、のちに角川スニーカー文庫で文庫化されることで、ライトノベル初期の一つの形式として認知されました(と勝手に思っています)。
ちなみに、当時の角川書店のメディアミックスの一つとして、カセットテープで音声ドラマを収録する「カセット文庫」というジャンルがあり、「聖エルザクルセイダーズ」も4巻まで発売されました。
「カセット文庫」は、出版物の扱いで書店に普通に並べることができた面白いジャンルだったと思います。
ただ、マンガ、小説をおいて、何よりもコンプティークの名を知らしめることになったのは、「TRPGリプレイ」、そして「ロードス島戦記」だったと思います。
・・・うーん、ロードス島戦記で、さらに寄り道しそうですので、
その話は次回で(笑)
(つづく)