ゲームブックの煌めき、再び?⑫
さくらだです。
前回まで、迂遠な壮大な寄り道をしましたがようやく帰ってきました。
えーと、どこへ帰ってきたんでしたっけ?
そうそう、ゲームブックの成り立ちを知りたいな、と思い、「火吹山の魔法使い」が国内販売された1984年のファンタジー事情、そしてゲーム事情を見ていたのでした。
ついつい、興味が出て、1973年からのアナログ・デジタルゲームの歴史まで覗いちゃいましたが、それぞれのジャンルでも少しずつゲームブックにも関わりそうなトピックもあるあたり、やっぱりゲームは面白いなぁ、と改めて感慨にふけりました。
とは言え、今回(こそ)はゲームブック回です!
35.TRPGは面白いけれど難しい、けど面白い
さて、改めて、1984年のアナログゲームの情勢を見てみると、やっぱりどうしてもTRPGブームの到来が目に付きます。同じ時期に出たゲームブックとは、紙媒体同士であり親和性が高い、ということもありますが、なにより、伝導者が実質同一人物ということもあります。
それが、安田均さんです。
安田均さんは、ゲームの話をして安田さんが関わってこないことはない、というのはゲーム界では常識とも言えるほどのゲーム人で、さくらだ が語るのもおこがましいので、詳しくはWikipediaを見ていただくか、最近ご自身が出版された書籍を見ていただくのがよいと思います。
- 安田均のゲーム紀行 1950-2020
- 新紀元社
- 本
この「安田均のゲーム紀行 1950-2020」は、わずか150ページ、しかもご本人の自叙伝を交えたゲーム史観は前半の60ページ弱で、普通であれば、「なんだこんな薄っぺらい本は!お金返せ!」となるはずなんですが、原液を1000倍に薄めただろうこの60ページ弱をして、様々なことに目からウロコが落ちる内容に驚愕し、「買ってよかった!」と思うこと請け合いです。
まあ、その結果、「もっと!もっと書いてください!お願いします!」という次作期待への渇望も湧いてしまうのですが・・・
さて、そんな安田さんも述べられている通り、アメリカでは1974年にTRPG「D&D」が発売されて大ブームが起こった中、安田さんがそのブームをなんとか日本にも広めようと1984年ごろから雑誌タクテクス等を通じてゲーム紹介をしていたところ、1982年に海外で出版された「火吹山の魔法使い」も1984年に国内販売されることになります。
ついでに言うならば、コンピュータRPG界も、海外の作品「ウルティマ」「ウィザードリィ」によって生まれたRPGブームのマグマが、同じ1984年に吹き出すことになったのです。
なんで、1984年がそんなカオスな年になったのか。
それぞれのジャンルが海外で生まれたタイミングを時系列で見ると、誕生の流れ自体は自然だったことが分かります。
1974 D&D発売
1981 Ultima1、Wizardry発売
1982 ゲームブック「火吹山の魔法使い」発売
いかがでしょうか?
つまり、海外では、まずD&Dが生まれてTRPGがブームになる、という最初のステップがあって、その面白さをなんとかコンピュータで実現しようと試行錯誤を続けた結果、コンピュータRPGである「Ultima」や「ウィザードリィ」が生まれた、その一方で、別のアプローチで一人でも楽しめるTRPGを楽しむ手段としてゲームブック「火吹山の魔法使い」が誕生した、という、流れに順番がありました。
ところが、これが、着目されたタイミングやら、ローカライズやら、移植の手続きやらで日本では全部同じタイミングで来たわけです。
なるほど、作る側、紹介する側は大忙しです。
ただ、それにしても、コンピュータRPGは、パソコンが自動処理してくれる、という点でTRPGを一人で楽しむ手段として「使える!」と考えるのは自然な流れに思いますが、TRPGを1人で楽しむために「そうだ、ゲームブックにしよう!」と思いつくのは、やはり一足飛びに出てくる発想ではないように思えます。
そもそも、ただでさえTRPG自体のゲームシステムを理解するハードルが高い中で、「TRPGを一人でも楽しめるゲームブック」という、さらに進んだ発想をするのは、相当難しい気がします。
むしろ、逆にTRPGを理解するためにゲームブックが存在するほうが自然では?
そのように180度、見方を変えてみると、1つのTRPGのチュートリアル手法にたどり着きます。
TRPGは、複数の人間が自分のキャラクターを操って、別のプレイヤーのキャラクターと協力したり競争しながら冒険を進めるゲームです。
全員が初心者であれば、スタートラインが一緒なので、横並びでTRPGについて知って、遊んで行けばよいですが、経験者の中に初心者が一人、という状況になるとそのプレイヤーの受け入れ方が難しくなります。
既プレイヤーが初心者をフォローして一緒に遊ぶ、というのはもちろんなのですが、「TRPGとはなにか」「どう遊ぶものか」「パラメータは何を指しているか」「ゲーム中はどう振る舞えばよいのか」などなど、TPRGをプレイする前にゲームが楽しくなる最低限の情報を把握しておかないと、そもそもTRPGを始めることができなくなってしまうのです。
(もちろん、本人が望めば、遊びながら覚えていく、というのも十分有効な選択肢です。)
そんな、初心者ユーザーにとって、チュートリアルとして非常に有効な手段が、ソロアドベンチャーです。
36.それはソロアドベンチャーから始まった?
ソロアドベンチャーとは、文字通り一人で遊ぶアドベンチャーゲームです。
とは言っても、それ自体を完成された1つのシナリオ、として見るよりも、そのTRPGについて不慣れなプレイヤーへOJTを受けてもらう、という意味合いが強いです。
ちなみに、OJTは「On-the-Job Training」の略で、実践を通じて知識を身につける手法を指します。よくコンビニで「研修生」の名札を付けている方が、OJT研修の一例と言えるでしょう。
ただ、コンビニのOJT研修とTRPGの初心者向けソロアドベンチャーの最も違う点は、(当たり前ですが)OJT研修は「決められた業務をいかに効率的に習得するか」が目的なのに対して、TRPGの初心者向けソロアドベンチャーは「TRPGをより楽しむために何を知っておくべきかを体感してもらう」ことがメインとなります。
最近の初心者向けソロアドベンチャーの一例として、「新クトゥルフ神話TRPG スタートセット」に掲載された「ソロシナリオ 一人炎に立ち向かう」があります。
このソロシナリオ、270ものパラグラフから構成されていますが、遊び始める前の準備はダイスの用意と、文章中のダイスを振る(ロールする)ときの判定の仕方だけ。
これらの説明が終わると、以下のフレーズで実にあっさりとプレイヤーをソロシナリオに誘います。
”新クトゥルフ神話TRPG”をプレイする前提を理解したあなたは、これで最初の冒険「一人炎に立ち向かう」に取り組むことができる。この恐怖の物語は1920年代が舞台であり、あなたが主人公でその選択が結果を決める。この冒険は楽しみながら徐々にゲームの基本的なルールが紹介されていくように作られている。冒険のほとんどは友人と一緒にプレイするものだが、これはあなた1人だけで遊ぶものだ。まだよくわからない部分があっても心配しなくてよい。ルールはプレイするにしたがって説明される。あなたの探索者をどのように創造するかということも述べている。
ルールは第2章にあるが、プレイを始める前に読む必要はない。ただし、未記入の探索者シートが1枚必要だ。シナリオの指示に従って、このシートに必要なことを記入していくことになる。その他、筆記用具とメモ用紙も数枚いるだろう。
まさにチュートリアルです。
実際、この後、ソロシナリオを読み進めていくと、
1.世界観の説明(自分のひととなり、目的の説明)
2.能力値の説明と設定
3.能力値を使った判定
4.技能の説明と設定
5.技能を使った判定
・・・
と1つ説明を行うたびに、その実践を行うということを繰り返し、プレイヤーが自分のキャラクターを苦労なく作り、物語に合わせての能力値や技能の使い方を理解する流れになっています。
ソロアドベンチャーが優れている別のところとして、複数のプレイヤーで楽しむためのコツについてもそれとなく教えてくれます。
・足を使った現場調査
・会話による情報収集
・時間経過による状況の変化と対応の必要性
・愚かな行動への相応の報い
などなど・・・
ちなみに、このソロシナリオでは、実に18個のエンディングを用意しています。もちろん、新クトゥルフ神話TRPGはホラーものですから、ほとんどバッドエンドですが。
ここで一番のポイントとなるのは、「自分の選択がストーリーを決める」という体験でしょう。
これは、本来的には、進行役である「ゲームマスター」(新クトゥルフ神話TRPGでは「キーパー」)を含めた、複数の人間が参加してこそ起こりうるゲームの魅力です。
ところが、チュートリアル的な立ち位置だったソロアドベンチャーでも、作り方次第では1人でTRPGが持つ「自由度の高いゲーム」としての面白さを堪能できるポテンシャルを秘めていることが分かったのです。
37.そして、ゲームブックへ、「火吹山の魔法使い」へ
ソロアドベンチャーを単独の作品で出そう!
これは、その面白さを知ってしまえば、違和感のない動きだと思います。実際、TRPGのソロアドベンチャーシナリオというものも沢山登場しています。
ただ、この時点では、ソロアドベンチャーは「TRPGのルールを間借りした1人用シナリオ」の存在ですので、独立した作品にするためには相応の建て付けが必要となります。
一番簡単な方法は、パラグラフ形式だけ採用する、というかたちです。
つまり、「右なら15へ、左なら174へ」みたいな選択肢のつながりで物語を選んでもらい、その選択結果を反映したストーリーを進める、という考え方になります。
これは、非常に合理的でかつ小説などの本が本来持つ楽しみ方に近いものでした。実際に、最初期に登場したゲームブックはこの形式をとっていましたし、「ゲームブックとはどんなものですか」と聞かれれば、まっさきにこの形式の説明が出ると思います。
ですが、「TRPGの面白さを1人でも楽しむ」というコンセプトを考えた場合、キャラクターに感情移入するためには、これに加えて「個性」と「成長」の要素が絶対に必要でした。
「個性」とは、自分だけのキャラクターということです。TRPGでは基本的に1人1キャラクターをプレイしますが、このキャラクターはそれぞれが異なった能力値を持っています。この能力値の違いが個性の違いとなり、ひいてはプレイ中での行動の違いになります。
モンスターが現れたとき、腕力が高いキャラなら武器を持って戦うかも知れませんが、敏捷力が高いキャラは戦わずに脇をすり抜けるかも知れない。でも、それは得手不得手の問題でどちらも100点の正解とは限らない。そこで、ダイスを使った確率による成功判定を行う、これがTRPGの大きな醍醐味です。ゲームブックでそれを削ることは大きな劣化です。
「成長」は、言い換えれば「変化」です。TRPGでキャラクターが冒険にでるのは、何かを得るためです。例えば、ダンジョンに潜る目的は、決して「モンスターを殺したくて仕方ない」とか、「迷宮の中をただひたすらぐるぐる周りたい」という訳ではなく(もしかしたら、そういう人もいるかも知れませんが笑)、「宝物を得たい」「経験値(能力値)を上げたい」あるいは「攻略した達成感を得たい」と今とは違うものを獲得したい、という対価を求めています。TRPGは、そこに、「より強くなるための報酬」「モンスターとの戦闘と成長」「謎かけと攻略」といった要素を盛り込んでいます。これは、パラグラフの工夫だけでも多少は再現できる内容でしたが、それだけではTRPGで得られる満足感には到底及ばなかったのです。
「火吹山の魔法使い」で、この2つを実現する方法、
それが、ロール&ライトでした。
ロール(サイコロで判定する)、そしてライト(メモに書き込む)です。
サイコロを振る、という事自体も面白さを拡大する効果がありますが、「火吹山の魔法使い」では、その要素に加えて「成功率が異なる選択肢をプレイヤーに見せて選ばせる」ことで、そのプレイヤーしか体験できない冒険を実現させることに重点を置いたのです。
TRPGから見ると、「選択肢を予め見せる」というのは自由度を奪う恐れもある行為ですが、物語を読み進めるゲームブックであればその方が自然であり、また絶妙な選択肢は「自分の意志で選んだ」という没入感も感じさせることが可能なのです。
では、メモに書き込む、ということは何を意味するでしょうか。これは、冒険の進行をメモに書き込む、あるいは書いている内容を修正する、という行動を取らせることで、プレイヤーが冒険者として経験を積んでいることを体感させています。「火吹山の魔法使い」では、より臨場感のある冒険をサポートする専用の「アドベンチャーシート」がついてきます。
例えば、(極端な話ですが)部屋でカギを手に入れて、出る時に扉にそのカギを使って開くというシチュエーションがあったとします。パラグラフだけの場合、「カギを手に入れたので、そのカギを使って扉を開ける」という一連の流れがそのまま書かれることになります。もしかしたら、一度カギを手に入れたところでパラグラフにワンクッションいれる工夫をおこなうかも知れません。(「君はカギを手に入れた 67へ進め」みたいに。)
これに対して「カギを手に入れた。持ち物欄に「カギ」と書いておくこと。」と指示を受けて所持装備欄に「カギ」と書くだけで、獲得した実感度は一気に高まります。これは戦闘時の体力点の増減も同じで、ただ戦闘に勝利するだけでなく、戦闘後の体力点の減少分を書き残すだけで、戦闘の緊張感や、自分とキャラクターとの一体感は劇的に増すことになるのです。
「火吹山の魔法使いは」このロール&ライトに特に力を入れました。その結果、ゲームブックに適した、新たなゲームシステム「ファイティング・ファンタジー」を生み出した、と言ってよいかと思います。
こうして、「火吹山の魔法使い」は、書籍のスタイルでありながら、ロール&ライトによるゲーム性を高めた作りを行い、1984年に日本で発売されることになります。
狙いは当たり、「火吹山の魔法使い」は大ヒット作品となりました。
このヒットの主な理由は前述の通りですが、他の理由の1つとして「1人で遊べるゲームへの渇望」というのも少なからずあったのだと思っています。
ここまでに触れてきました通り、ファミコンが登場するまでは、非常に簡素な電子ゲーム以外は、ゲームとは基本的に複数の人間が集まって遊ぶものが普通でした。
一方で、1人で行う遊びは、主に読書や映画の中にあって、そこで登場する主人公の活躍やストーリー展開に自分を重ね合わせて楽しむ、というのが通例でした。
そこに風穴を明けたのがPCゲームでしたが、これは高額のため、ごく一部の好事家が飛びついたものの、子供にはとても手が出ないものでした。(子供、という点で言えば映画も小さい頃は家族で観に行く、という部分で「1人で楽しめる」とは言えないかも知れません。)
そんな中で「火吹山の魔法使い」は発売されたのです。
販売価格は、480円。
見たことのない、パラグラフ形式の良くわからない本が、「500円足らずのたった1冊の本で、1人で冒険の旅に出られる」と認知され、ブームになったのは、当時を振り返って見ればごく当たり前のことだったのかも知れません。
38.短すぎたゲームブックブームと終焉
この「500円で1人で楽しめる」ゲームブックは、価格とニーズが相乗効果を生み、さらには当初から「火吹山の魔法使い」から始まる「ファイティング・ファンタジー」という良質のゲームシステムを土台にした作品が提供されたことで、当然のように大ヒットしました。
そして、早くも翌年1985年には、ゲームブック最高峰と言われる「ソーサリー4部作」が発売され、ゲームブック市場は盤石なものになると思われました。
しかし、この流れを止めたのがファミコンを始めとした家庭用ゲーム機の台頭でした。ファミコンのゲームは、それでもソフト1本ずつの価格は当然ゲームブックよりも高額だったのですが、ゲームのボリューム、視覚的な効果、そして、戦闘を始めとしたあらゆる手動作業の自動処理の魅力を認知させることで、大人も巻き込む「1人遊び」の楽しみを演出することに成功しました。
1984年 「火吹山の魔法使い」発売
1986年 「ドラゴンクエスト」発売
1988年 「ドラゴンクエストⅢ」発売
たぶん、冒頭でこれを並べてもこじつけ感が強かったと思いますが、ここまでのファンタージー事情、ゲーム事情を見渡してみてからこの並びを見てみると、ゲームブック登場のタイミングは「運が悪い」とも「致し方ない」とも言えることながら、それ故ブームが短かったこともうなずけてしまいます。
ともあれ、コンピューターゲームの自動処理の魅力に押され、「ロール&ライト」を売りにしていたゲームブックは比較対象としても不利になっていきました。
そして、1997年ごろには、ついに新作を見かけなくなってしまうことになるのです。
39.ゲームブックは死なず?!
ところが、2021年になってゲームブック「火吹山の魔法使いふたたび」が発売されたのです。
思い出づくり??
いえいえ、そうではなく、ゲームブックは完全にその灯が消えた訳ではなく、まだその魅力は残っている、現在進行系であり未来系でもある、そういうことだと思います。
実際、ゲームブック、ゲームブック形式のものは姿をかえ(Kindle版)、スタイルをかえながら(脱出ゲーム)今も成長をしているのです。
さて、ここまで12回(!)にわたって、ゲームブック誕生と盛衰について、ほとんどゲームブックに触れずに紐解いてきましたが、ここからはゲームブックの魅力や、逆にゲームブックが持つ限界・課題かなぁと思う部分、そして、「ゲームブック形式」が持つ可能性について考えてみたいと思っています。
もちろん、浅く、ゆるく、妄想主体で
(つづく)