だむち~だって無知なんだもん~

底の浅い私、さくらだ が気になった主に漫画やアニメ、ゲームをぐだぐだと語っています。

ゲームブックの煌めき、再び?⑧

寄り道大好き さくらだです。(開き直り)


前回は、視力検査ならぬ「ゲーム史検査」と称して、「2021年に今からゲーム業界を振り返ったとき、20~30代の人にはどう見えているか」というのを妄想だけで表にしてみました。



明らかに間違っているのに、視覚化すると何故か謎の説得力
・・・は、やっぱりないですね(笑)



23.「なんちゃってゲーム現代史」を騙ってみる

では、この「なんちゃってゲーム現代史」、時代の流れの理屈をでっち上げてそれっぽく紐付けて、評論っぽく仕立ててみようと思います。


 インターネットが一般に広がったのは1995年頃になるが、このインターネットの普及がゲーム業界全体に与えた影響は直接、間接的を含めてとてつもなく大きく、また、この時期を境にアナログ、デジタルゲームともに一気に多彩な広がりを見せることになった。


 そもそも、1995年以前は、ゲームは子供が遊ぶもの、もしくは教育に悪いもの、というネガティブなイメージが定着していた。アナログゲームは比較的健全なゲームであるという立ち位置のもと、「トランプ」を使った様々な遊び方のアレンジが主流であり、そうでなければ、家族で楽しむ事ができる「人生ゲーム」や「オセロ(リバーシ)」、あるいは、海外の「モノポリー」「UNO」といったものが挙げられた。大人が遊ぶゲームで言えば、「将棋」「囲碁」「麻雀」といったすでに確立された種目が代表格であり、逆に長年これらが定番として固定されていた、とも言えた。


 一方でデジタルゲームは、店舗(ゲームセンター)設置型で1プレイごとに料金を取るアーケードゲームが先行こそしたが、「インベーダーゲーム」に端を発して「パックマン」など、ユニークなキャラクターで話題になることはあったものの、なによりも「ゲームセンターに行くのは不良」というレッテルからアーケードゲームにネガティブなイメージがつきまとっていたことは否めなく、デジタルゲームとして一般に認知されるには、1983年に登場した「ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)」の登場を待たなければならなかった。
 ファミコンは、初年度から「マリオブラザーズ」「ドンキーコング」など後まで続く人気キャラクターゲームを排出するが、1986年にエニックスが「ドラゴンクエスト」を発売することで、デジタルゲーム、そして家庭用ゲーム機として地位を確固たるものにした。同時期にはNEC、セガも家庭用ゲーム機に参入しており、複数の企業が切磋琢磨した、という後押しもあって1980年代のゲーム業界を牽引したことも見逃せない。



こんな書き出しでしょうか?


のっけから、嘘八百も甚だしくてすみませんっ



こんな感じで、なんちゃってゲーム現代史を語って、ではなく騙っていきますので、「見るに堪えない」と思われた方は今回はスキップいただけると・・・。


では、気を取り直して、続けていきます。



 アナログゲーム業界に変革をもたらしたのは、トレーディングカードゲーム(以下、TCG)だった。1993年、アメリカで「マジック・ザ・ギャザリング(以下、MTG)」と言うカード商品が発売されるとその面白さの評判は一気に広まり、1996年には海を超えて日本語版の販売開始にまで波及、これも大ヒットとなった。TCGは、各ユーザーが各々で購入・コレクションしたカードをもとに「デッキ」と呼ばれる数十枚からなるカードの束を構築し、2名以上のプレイヤーで対戦するゲームである。このシステムはMTGが最初に生み出したものながら既にほぼ完成されたものであり、現在まで継承されている。
 TCGは、国内からは「遊戯王」「モンスターコレクション」「ポケモンカードゲーム」が次々と登場し、長らく盤石だった定番ゲームの牙城がようやく崩れることとなった。この時期にインターネットが普及し、ネットを通じてカード情報を調べることができるようになり始めていたことも大きい。


 2008年に次の転機が訪れる。「ニコニコ動画」においてボードゲームを紹介する配信者が「テーブルトークRPG」を投稿したことである。TRPGは、ゲーム機ではなく人間同士のコミュニケーションを中心として話を進める新しいタイプのRPGである。特に、ホラー小説の舞台を題材とした「クトゥルフ神話TRPG」のプレイ実況は、魅力的な動画が多数配信されて、「自分たちもTRPGをやってみたい」とブームに火を付けた。オンラインでメンバーが集まってTRPGが楽しめるツール(「どどんとふ」等)が同時期に誕生しTRPGをスムーズにプレイするために一役買ったことも人気に拍車をかけた。


 アナログゲームのもう一つの大きな流れは「人狼ゲーム」のブームである。2011年頃には、ボードゲームファンの中では少しずつ流行が始まっていたが、2012年にTVの番組として人狼ゲームが紹介されると知名度が一気にあがり、それまでTCGやTRPGを知らなかった人たちでも人狼ゲームなら知っている、というほど市民権を得るに至った。人狼ゲームが与えた影響はそれだけにとどまらず、それ以降もたびたびTV番組でボードゲームが紹介されたり、芸能人が盛り上がりツールとして使われる等、ボードゲーム全体の認知度を底上げする副次的な貢献も果たした。



アナログゲームの流れをこんな感じでまとめてみました。それっぽい感じにはなっているかな、と思います。明らかな嘘も含まれているのが心に痛い・・・


ただ、実際のところ、現在から振り返った場合、アナログゲームの世界は、まず、YouTuberやTVで紹介されているエンターテイメント性の高いパーティーゲームが強く印象に残り、そして、そこにTRPGやマーダーミステリー、人狼ゲームという会話を主体にしたゲームが新しいカテゴリーとして広まっている、ただ昔ながらのTCGゲームファンも健在している、こういった構図で見えているのではないかと思います。


そして、TCGゲームより昔のゲームを目を凝らして見ようとしても、そこには、起源も定かではない、人生ゲームやUNO、さらにはトランプがあるぐらいで、将棋、囲碁や麻雀に至ってはもうゲームとは別物だよね、という(笑)。



24.「なんちゃってゲーム現代史」のつづき デジタルゲーム編


さて、デジタルゲームはどうでしょうか?
すでに、前章の出だしからかなり吹いた書き方をしてしまいましたが、こちらも辻褄を無理やり合わせることだけを意識して騙ってみたいと思います。




 デジタルゲームの方に話を移すと、前述の通り、デジタルゲームはファミコンの登場、そして1986年に「ドラゴンクエスト」がリリースされたことで家庭用ゲーム機がデジタルゲームの主役となることを決定づけた。


 結果、アーケードゲームは、この後家庭用ゲーム機では実現できないゲーム性を追い求めていくことになる。見出した可能性は、「見知らぬユーザーとの対戦」と「観戦者(ギャラリー)に魅せるゲーム性」である。1992年に登場した「ストリートファイター2」は、まさにその2つを兼ね備えたゲームだった。このゲームは1vs1の対戦ゲームで、プレイヤーは予め用意されている8人の格闘技キャラから1名を選び、相手が選んだ格闘技キャラと同じ画面上で対戦する。格闘技キャラにはそれぞれ特殊な操作を行うことで必殺技を出すことができ、そのビジュアルも格好良いことから、必殺技が決まった時には後ろでゲームを見ているギャラリーも盛り上がる。そして、自分も必殺技を繰り出して相手に勝利したいから上達しようとさらにゲームをプレイする。
 「対戦」と「ギャラリー」、これに加えてドライブゲームのハンドル操作に代表されるような「独自の筐体」、この3つの組み合わせがこの後ゲームセンターを支えていくようになる。



 1997年には「Beatmania」が登場。筐体にはキーボードとスクラッチを模した独特の操作ボタンが備わっており、プレイヤーはあたかもDJになったかのように、音楽に合わせてボタンを操作し、そのテクニックをギャラリーが観戦する、という「格ゲー」に続く「音ゲー」ジャンル確立のきっかけとなった。



 アーケードゲームは、2002年にもう一つの大きな変革期を迎える。それは、ゲームのオンライン化である。それまでのゲームは、「対戦」というのは、あくまでも同じゲーセンで直接つながっている筐体同士でのみ実現できるものだった。したがって、「強い人に会いに行く」ためには、本当にその人がいるゲーセンへ会いに行く必要があった。(それはそれでロマン溢れる展開ではある。)
 しかし、ゲームがネットに接続するオンライン化によって、全国のゲーセンが一つにつながることになったのである。そして、このオンラインの仕組にTCGの要素を組み合わせてモンスター級のゲームにしたのが、トレーディングカードアーケードゲーム(以下、TCAG)と呼ばれるサッカーゲーム、「WORLD CLUB Champion Football(以下、WCCF)」である。WCCFは、自分がクラブのオーナーとなり、プロサッカー選手が記載されたトレーディングカードを収集しつつ(最初にスターターパックを購入し、その後は1プレイごとに1枚獲得できる)、集めたカードで自分なりのベストイレブンを組んで、オンライン上で日本中の参加者と対戦する、というゲームで、当時のサッカーブームの後押しもあり、社会現象を起こすほどの爆発的人気となった。TCAGの他にも、オンライン化により、全国のプレイヤーとクイズで勝負をする「クイズマジックアカデミー」、麻雀対戦ができる「麻雀格闘倶楽部」「MJ」、そして、前述の格ゲーも全国対戦ができることでゲームセンターに足を運ぶ人が増え、オンライン化はまさにアーケードゲームの救世主的な存在となった。



 一方で家庭用ゲーム機は、1990年代に入ってもゲーム業界の中心に位置し続けていたが、この時期、2つの点で悩みを抱えていた。一つは大衆機であるために価格を抑える必要があり、高性能化に限界があったこと(その代わりたびたびソフトが高額になることはあった)、そして、オンライン化の対応と普及が遅れていたことである。



 そこでスポットライトがあたったのがパソコンだった。パソコンは映像処理やキーボードによる文字入力を始めとしたインプット処理に優れていて、なによりネット接続されていることが魅力である。
 海外では、RPGの新しい楽しみ方として、各プレイヤーが一人づつ自分のキャラクターを操作して、ネット上にある共通の仮想世界で一緒に冒険をする、という「大規模多人数同時参加型オンラインRPG(以下、MMORPG)」のゲームに人気が集まり、「ウルティマオンラインが」がPC向けMMORPGとしてその先鞭をつけていた。

 国内では2000年に「ファンタシー・スター・オンライン」が登場、また2002年に「ファイナルファンタジーⅪ」がMMORPGのPCソフトとして登場したことで、認知度が一気に広まった。この時期は同じくPCを利用しながら、ブラウザ型で提供するタイプのMMORPGも多く、「ラグナロクオンライン」「メイプルストーリー」「リネージュ」など、今もサービスが継続している息の長いタイトルが並んでいる。


 
 家庭用ゲーム機はその後オンライン化に対応することとなり、またハードの世代交代を重ねるたび性能が大きく向上したことでパソコンとの差別化は薄れることになる。結果、家庭用ゲーム機とパソコンは、この後も両者が自分のプラットフォームの利点をお互い活かしながら共存していくこととなるが、その両者を脅かす存在が2006年に登場する。それが、iPhoneを始めとしたスマートフォンである。



 スマートフォン誕生以前でも、携帯電話がゲームアプリを搭載することはあったが、それは持ち運びの利便性に特化したものであり、ゲーム内容としては物足りないものがほとんどだった。しかし、スマートフォンのゲームアプリは、初期こそ携帯電話機に搭載されたゲームの焼き直し程度の作品が出ているのみだったが、その後、他のジャンルの良い点を吸収して展開できるという強みを生かし、TCGやMMORPGのビジネスモデルを融合するかたちで「ランダム型アイテム提供方式」、いわゆるガチャのスタイルを生み出した。この仕組は、「基本プレイ料金無料」との組み合わせにより、ライトなゲームユーザーを取り込むのに非常に有効であり、携帯電話が活かしきれなかった可搬性の有利も取り込んで、またたく間にゲーム業界の中心媒体にのぼりつめた。



 現在は、「スマホゲームアプリ」、「家庭用ゲーム機+PCゲーム」、「アーケードゲーム」の鼎立状態が続いているが、オンラインが必然となっている中で場所移動が必要となる「アーケードゲーム」がどのように生き残っていくか、が注目されるポイントである。



・・・いかがでしょうか?
結構、本当の部分も程よく配合されていますので、割と違和感ない話になったかな、と思います。


というか、こうしてみると、ゲーセンってやっぱり不利だなぁ、としみじみ感じてしまいます。もちろん、専用筐体で遊べる、という決定的な優位点はあるのですが、ビジネスの観点から見ると、その都度、ある程度一点物の筐体を作り込まないと行けないわけで、コストリスクが半端ないのがどうにも。
しかも、ゲーム機やPCスマホは、ゲームから離れても別の使い方があるので、そのうちまたゲームに復帰する、というきっかけも得やすいですが、ゲーセンの場合、一度いかなくなったら、戻るためのきっかけを作るのはかなりハードルが高い気がします。



ということで。


本当は、ここで、「と言う感じで、実際はもう少し事情が違うんですが、現在からみるとこんな風に見えたりしちゃうんですかねぇ。」と、ふんわりと終わろうと思ったんですが。


やっぱり、「実際はどうなのか」というところを、まったく触れないまま次にいってしまうのも片手落ちな気がしてきましたので、この「ゲーム現代視力検査」(笑)、もう少し過去まで引っ張ってみて、実際の歴史はどうだったのかを掘り下げてみたいと思います。


といっても、
結局いい加減ですので、あまり期待はしないでくださいね(笑)


そちらは次回のお話ということで。


(つづく)

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