だむち~だって無知なんだもん~

底の浅い私、さくらだ が気になった主に漫画やアニメ、ゲームをぐだぐだと語っています。

ゲームブックの煌めき、再び?⑤

さくらだです。


まだ、ゲームブックの話に戻れていませんが、あと3,4回ほどで戻ってこれそうな気がしてきましたので、それまで引き続きの寄り道ご容赦ください!



11.日本のファンタジー、TRPGに激震が走った「ロードス島戦記」


「ロードス島戦記」は、「月刊コンプティーク」で1986年9月から「D&D誌上ライブ」という名目で始まったTRPGリプレイ企画です。


と、一言で書いてしまうと、「へぇ」という感想しか生まれないかと思いますが、これは当時からするととんでもなく画期的な企画でした。



まず、そもそも
「TRPGとは何なのか?」問題があります。


詳しくは、「TRPG」年表のところで掘り下げてみたいと思っていますが、まず「TRPG」を知らない人にゲームの説明をすることが、メチャクチャ難易度が高いのです。


とにかく「○○のようなもの」みたいに、とっかかりになる例えを持ち出したいのですが、当時ではTRPGと一般知識の間で共通となる接点がなかなかなく「ロールプレイ」と結び付けて「ごっこ遊び」と説明するのがやっとでした。



ところが、ゲーム雑誌読者層には、TRPGを理解するための大きなアドバンテージがありました。


それは、コンピュータRPGによって、RPGが「能力値がパラメータ化されたキャラクターを作成して、冒険を通じた能力値増加により成長させるゲーム」であるというゲームシステムを履修済み、ということです。


これは、とりもなおさず「プレイヤー」と「キャラクター」が別のものだ、ということも理解している、ということで、TRPGを説明するための第一歩を理解していることになります。


ここに目をつけて、ゲーム雑誌でTRPGの存在を広めようとした、という点がまず第1の目から鱗ポイントでした。


12.連載第1回目に見るTRPGの認知度

そして、連載初回は、こんな風に始まっています。


RPGといえば、もはやパソコンゲームの代名詞になってしまったが、その元祖は1974年にアメリカで生まれた『ダンジョンズ&ドラゴンズ』だ。何人かの人間がルールブックとダイス、そして紙を使って行う元祖RPGの実際のプレイぶりを、これから何ヵ月かに渡って同時誌上ライブでお送りします。


冒頭で、コンピュータRPGの前に卓上RPGがあったことを軽く触れたうえで、実にあっさりと企画の説明を済ませています。


ゲーム雑誌読者の知識力を信頼した文章であると同時に、「どうやっても一言で説明することは無理!」という潔さも感じ取れます。


そして、読者ならついてきてくれる、という信頼は、エピソード1の書き出しにもにじみ出ています。


『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下D&Dと略す)が発売され早や1年がたってしまったけど、みんなは楽しくプレイしているかな?」

知っているどころか、プレイしていること前提です。


もちろん、これは、話に勢いをつけるための常套句ですが、ここまで書けるのもゲーム雑誌読者の知識や興味、先見性にかなりの期待と安心感を抱いているからでしょう。


さらにポイントになるのは、この続きにある一文です。


 それになによりも、ゲームブックやパソコンゲームでしかRPGを知らないって人たちに、みんなとワイワイやる本物のRPGの楽しさや魅力をぜひ知ってもらいたいのだ。


年表的にも違和感がないのですが、やはり多くの日本人にとっては、(おそらく1984年以降に)まず、ゲームブックとコンピュータRPGのブームがあって、そのあとでTRPGが認知されるようになった、ということがわかる文章だと思います。


13.プレイヤーからキャラクターへ TRPGリプレイの説明レトリック

TRPGを知らない人に説明するとき、最初に伝え方に悩むのが「プレイヤー」と「キャラクター」という言葉です。



ここには2つの悩みどころがあって、一つはもちろんこの2つの違いの説明。
ただ、前述の通り、ここは当時のコンピュータRPG経験者であれば誰でもクリアできるところで、「ドラゴンスレイヤーで言えば、PCでゲームを遊んでいる人が『プレイヤー』、ゲームの中の冒険者が『キャラクター』だよ」といえば、誰でもあっさりと納得できます。


ただ、もう一つ、「なぜプレイヤーとキャラクターを分けるのか?」という説明がとても難しいのです。なぜなら、コンピュータRPGでは、役割の決まっているキャラクターをプレイヤーが操る、という作りのため誰もが同じ役割を担うのですが、TRPGでは好きにキャラクターを作ることからスタートします。


小説家でもないのに、いきなり架空の人物を作らないといけない・・・


この戸惑いがTRPGの入り口のハードルを高くしているのですが、逆に、「・・・ということは、小説家でもないのにいきなり架空の人物を作ってもよいのか!」という逆転の魅力に気づいてしまえば、一気にTRPGへの興味が高くなります。


ロードス島戦記TRPGリプレイでは、この部分に2ページを割いて「かくてキャラクターは誕生す」という力の入れた説明を行っています。


 キャラクターを作るのはRPGの最初の楽しみなのだ。なぜって、この自分の作り出したキャラを通じて、ぼくたちはD&Dの世界を体験するんだから、いわばキャラは自分の分身みたいなものだ。

(中略)

つまり、架空の人間を作りあげるわけ。ま、なかなかそうはカンタンにひとりの人間を作ることはできないけどね。

ゲームが始まる前から楽しみがはじまっている、これは人気のあるゲームに意外と当てはまる傾向かもしれません。


そして、続けて、このキャラクター作りのコツをこんな感じで伝えています。


 そこでいくつかうまくキャラクターを演じる方法を教えよう。こうすれば、カンタンにD&Dのキャラを作ることができる!

①マンガや小説の登場人物の性格を借りる

②自分の家族や友だちの性格を借りる。

③あきらめて、自分の地でやる!

などである。

 そして、こんなとき「グイン」ならどうするかとか、「ケンシロウ」ならどうするか、と自分で考えていく。そうすると、意外にうまく「D&D」のキャラができあがっていくのだ。

ケンシロウはともかく、唐突に例として「グイン」を出しているあたりに、製作者が相当PCゲーマーの知識を信頼していることが見て取れます。



さて、このあと、「冒険者たち、自己紹介するの事」へと章が進むのですが、ここで、(もしかしたら)歴史的なフレーズが生まれることになります。


この章の出だしは、タイトルの通り、各プレイヤーが順番に自分たちのキャラクターを紹介するところから始まります。


プレイヤーA わたしのキャラは、女性のエルフで、ディードリットと言います。性格は中立で、普段は比較的無口です。でも、戦闘時にはうれしそうに剣を振りまわします。選んだ呪文は”チャーム・パースン”

プレイヤーB 怖い性格ですね。ぼくの魔術師は中立の性格で名はスレイン。(中略)

プレイヤーC オレの戦士は正義だ。名前はパーン。邪悪なヤツは許さねぇ。

プレイヤーD パーン?竜騎士なのかい。それは心強いな。僕も正義のクラリック、名前はエト。(中略)

プレイヤーE シーフ(盗賊)は、正義なんておかしいし、しかたないから性格は中立。名前はウッド・チャック。(中略)

プレイヤーF ぼくのキャラは、ドワーフのギムさん。中立。(以下、略)


 こんな感じで、プレイヤーは仲間内でもキャラクターは初お披露目ですので、イメージしてもらいやすい特徴をカンタンに伝える自己紹介を行っています。


 そして、自己紹介が終わったあと、このリプレイではこういった言葉が差し込まれます。


ギム(これ以後、プレイヤーはそれぞれのキャラ名で呼ぶ)


 
 このたった一言で、私達の意識をゲームで遊んでいるシーンから、ゲーム舞台そのものへとワープさせているのです。


 実は、この時代でも会話形式のゲームリプレイ自体は様々存在していたのですが、それはあくまでもプレイヤー視点でのものだったり、あるいはチュートリアルのためのワンシーンの切り取りだけであったりで、プレイヤーとキャラクターを使い分けながら、キャラクター視点でリプレイを行う、というのが斬新でした。


当時のイラストを引用させていただくなら、プレイ開始までは

このイメージだったものが、「これ以後、プレイヤーはそれぞれのキャラ名で呼ぶ」となったことで、一瞬にして、こう変換されるようになったのです。

ある意味、TRPGの楽しみ方のビジュアル化はこれで事足りるかも。


それくらいに、この一言がもつインパクトは大きいものでした。



そしてこの手法によるその後の影響はさらに大きく、後のTRPGリプレイはもちろんのこと、結果的には、小説、マンガのみならずリプレイ動画、あるいは異世界転生ものでの会話レトリックなど、あらゆるシーンに波及していった


かもしれない


とおおげさに考えてしまうほど、画期的なことだったのではないかと思います。



ちなみに、この「ロードス島戦記」はその後、角川書店のメディアミックスにマッチした作品だったこともあり、とんでもなく広いジャンルへと展開されていきます。


TRPGリプレイ本はもちろん、小説、マンガ、アニメ、さらには専用TRPGルール、コンピュータRPGにも展開、カセット文庫や画集、オリジナルサウンドトラックも取り扱われ、最近では舞台まで行われる等、間違いなく日本のファンタジー界の中心となる作品となっています。


14.忘れてはいけない、RPGの名指南役「クロちゃんのRPG講座」

コンプティークの素晴らしかったところは、TRPGリプレイ、という単発の企画をヒットさせたことではなく、地に足をつけたRPG伝導をおこなっていたことです。


それが、黒田幸弘さんが連載していた「クロちゃんのRPG講座」です。


「クロちゃんのRPG講座」は、「ロードス島戦記TRPGリプレイ」よりも半年以上も前から連載を開始していて、そこでは、主にコンピュータRPGから、ファンタジーRPGやTRPGへの興味を深めたユーザーに、実体験を交えてわかりやすく紹介するコラムでした。


このコラム自体には新しい手法は特にありませんでしたが、後にTRPGリプレイという斬新なアイディアがあっさりと受け入れられたのは、間違いなく「クロちゃんのRPG講座」が先に連載されていたからだと思います。


「魔法とは?」「マジックアイテムとは?」という基本的な説明から、ファンタジーRPGの舞台となりやすい中世の生活まで、RPGに役立つ知識を幅広く紹介するのが中心でしたが、毎回自分たちTRPGで起こった困った話を披露するパートも大人気でした。



例えば、「+6ソードの猛威」というエピソードは、あるトラップだらけのシナリオに挑戦させるための報酬として「+6ソード」という超強力な武器をちらつかせたところ、トラップの元ネタを全部知っていたプレイヤーにあっさりと見抜かれて首尾よく武器を手に入れてしまったお話。


このエピソードの面白いのは、後日譚もしっかり紹介していて、その後「+6ソード」を持ったキャラが無双したこと、それに困った他のメンバーが相談して、その後別のシナリオで、合理的に「+6ソード」を弱体化させて事を収めたことまで載せていて、TRPGでのバランスの良いシナリオ作りと、みんなで楽しむ大切さをしっかりと盛り込んでいるのが特徴的です。



「クロちゃんのRPG講座」はかなり評判が高く、その後、タイトルを「クロちゃんのRPG千夜一夜」と変えてさらに人気を博し、RPGレクチャーものの代表格となっていきます。

クロちゃんのRPG(ロールプレイング・ゲーム)千夜一夜〈1〉 (富士見文庫―富士見ドラゴンブック)
クロちゃんのRPG(ロールプレイング・ゲーム)千夜一夜〈1〉 (富士見文庫―富士見ドラゴンブック)
富士見書房



ちなみに、ここでようやく、寄り道から少し戻ってこれるお話として、このコーナーの執筆者だった黒田幸弘さん、ご自身でもゲームブックを作成しています。



1986年11月に富士見ドラゴンブックから「鷹の探索」という、なかなか渋いタイトルながら、総パラグラフ数494(「火吹山の魔法使い」は400)という本格的なシナリオ。


 アルビオン王国の辺境を守るグレイリン軍団。武勇を誇るその軍団のシンボル<鷹>の像が、北方からの侵略者によって奪い去られてしまった。

 グレイリンの血を引く者は、いまや君ただひとり。騎士としての名誉にかけ、君はピクトランドを目指し出発する。<鷹>の像を奪い返す長い旅にー。

 新たな出会いと謎に満ちた冒険の旅がいま、切っておとされる。


本の裏に書かれている説明だけでも、ファンタジーRPGの熟練感が溢れています。


単発の作品ながら、冒頭には神話を交えた世界観の説明が、さらに巻末にはルール説明が約20ページにわたり丁寧に行われていて、このあたりにも黒田さんが、RPGを意識したゲームブック作りに力を入れた感じをひしひしと受けます。



ただ、そう考えてみると、「火吹山の魔法使い」の翻訳は、タニス・リーやアン・マキャフリィといったファンタジー作家の翻訳を手掛けた浅羽莢子さんでしたが、その後、日本TRPG界の第一人者、安田均さんも何本か手掛けているようになったところからしても、黒田さんに限らず、そもそもゲームブックは、TRPGとは切っても切れない関係ではないか、と。



「そりゃそうだろう、何をいまさら」とバッサリ行かれる方も相当いらっしゃるかと思いますが、ここは『だむち』の頭の弱さと緩さ、温かい目で見ていただきつつ、もう少しのんびりと話を進めていきたいと思います。



流れ的には、ここでTRPGでも良いのですが、「ログイン」「コンプティーク」ときましたので、次回は、コンピュータRPGについても、カンタンに触れられたらな、と思います。


(つづく)

×

非ログインユーザーとして返信する