コミック『五等分の花嫁』を読んでみた④
5.私は風太郎になれるのか
『五等分の花嫁』はラブコメ。
個人的には、ラブコメは主人公に感情移入できてナンボ、というスタンスです。
こういう読み方は取り立てて特別ではなくて、むしろスタンダードなんじゃないかな、と思っています。
実際、ヒロイン側の五つ子に対しては、
一花が、薪小屋で風太郎に抱きとめられば、こちらもドキドキしますし、
二乃が、父親にパンケーキを食べてもらえばもらい泣きし、
三玖が、風太郎に自分と気づいてもらえば、一緒に「当たり」と喜び、
四葉が、ブランコで一人「好きだったよ」といえば、「今もだろ!」と叫び、
五月が、「君だって私の理想なんだよ」といえば、そうその通り!と共感します。
姉妹の全てのキャラのどのシーンにも、「そう、それ!」と感情移入しちゃいます。
ところが。
風太郎の名シーンでは、不思議なぐらい感情移入した覚えがないんですよ。
うーん、結構、名シーン、名台詞の宝庫だったはずなのに・・・。
で、読み返してみたんですが、
良いシーン、燃えるシーンで、ほぼ、風太郎の表情変わってないんですよ。
変わっているのは、風太郎の発言や行動を受けた相手の方だけで。
特に、風太郎は、一番感情表現が顕れる目の表情が変わらないので、口元で表現をしていても、まあ、風太郎の本心には触れられない、触れられない。
ただ、これは個人的には、最初から狙ってそうしているんだと思います。
目的は大きく3つの可能性があるんじゃないかな、と。
1.誰が花嫁か風太郎の心の変化からヒントを与えたくない。
2.五つ子の感情をストレートに楽しんで欲しい。
3.そもそも風太郎の心理描写を重視していない。
1は、誰もが感じているところかと思いますが、風太郎の心の動きが分かってしまうと、この作品のメインテーマである「誰が花嫁になるか」が推測し易くなってしますから、というのが大きいと思います。
さらに言えば、これによって、一時的にでも風太郎が同時に複数の相手に好意を感じてしまうと、この作品自体が、純粋に楽しめなくなってしまう恐れも気にしたのかも。
2は、1とも関係しますが、この作品はあくまでも五つ子姉妹が風太郎への恋心を通じて成長するお話であり、読者が彼女達の成長物語を純粋に応援する、推すことができるように、あえて、従来のラブコメで必須の主人公の恋の葛藤や浮気心を封印したのではないか。
3は、この作品は勿論風太郎の成長物語でもあるのですが、周囲のみんなが成長を認める、という間接表現によって、あえて本人の意思の強さ、誠実さ、裏表のなさを表現しようとした、とも考えられます。
完全に個人的な妄想の領域ですが、この作品全体を通じて、あれだけ表情の変化に乏しい風太郎なのに、誰も彼を、心の読めない不誠実な人間だとは感じないでしょう。
これはこれですごいことかも。
ということで、この作品、狙って風太郎に感情移入にさせない作りになっているのかもなぁ、と一人勝手に解釈したのでした。
そして、ここから私の考察、という名の妄想は続くのです。
(つづく)
そういえば、あの後、後輩と話したことないんですが。
きっと、こういう会話を求めてないんだろうなぁ・・・。
※本記事で掲載されている画像は「『五等分の花嫁』/春場ねぎ/週刊少年マガジン」より引用しています。