ゲームブックの煌めき、再び?⑨
さくらだ です。
このコラム、ほとんど寄り道だけで語ってきましたが、そのせいですっかり忘れてしまっていたことがありました。
このゲームブックについて話をしてみようと思ったきっかけとなった、「ファイティング・ファンタジー・コレクション~火吹山の魔法使いふたたび~」なんですが。
寄り道しすぎて、
本題に入る前に発売されていました
し、しまった。。
そして、どうして気づいたかというと・・・
もちろん、注文していたものが届いたからです(笑)
あ、遊びたい!!
でも、このコラムが終わってから「ということで、冒険へ行ってきます!」という流れにしようかな、と画策していた思惑が・・・
うーん・・・
せ、せめて、このコラムが本題に入ってから封を切りたいと思います。
(なけなしの自制心)
25.インターネットが生んだ 失われた1980年代以前のゲーム史
さて、前回まで「なんちゃってゲーム現在図」をもとに、現在から振り返ったとき、どの程度まで過去のゲーム事情が見えて、あるいはどのあたりが曖昧模糊となっているかを想像してみました。
図では、ネット接続が一般に普及し始める1994年頃以前にボンヤリと膜をかけて、それ以前はあまり分からない、というような体裁で書いていますが、「いやいや、ファミコンが1983年でドラクエだって1986年に出ているんだから、みんな1994年以前も分かっているよ!」という意見もあるかと思います。
ただ、これはファミコンが任天堂が生み出した名機であり、ドラクエが今もシリーズとして続いているロングセラーであり名作である、そういう特別な存在だから、でしょう。
そういえば、先週、7月15日は「ファミコンの日」だったそうです。
1983年7月15日に、任天堂から、定価14,800円で発売されました。
多くの人が、家庭用ゲーム機元年として感慨深く感じるのではないでしょうか。
でも、同年同月同日に、ほぼ同じ価格で別メーカーからもう一つ家庭用ゲーム機が発売されていることは案外知られていません。
それが、セガ(当時は、セガ・エンタープライズ)が発売した「SG-1000」です。
ここでは、「おのれ、任天堂!」とか、「セガの技術は世界一!」とかといった意味合いで取り上げた訳ではありませんので(ホントですよっ)、SG-1000がどのような製品だったかについては、リンク先の「セガハード大百科」を見ていただければと思います。
ただ、ここで意識しておきたかったのは、当時は話題になっていたゲームであっても、インターネットが普及する前に姿を消してしまったものは、情報の波に呑み込まれてしまいがちかも知れない、というちょっとした哀切感です。
「それはSG-1000が売れなかっただけじゃない?」
という反論についても、販売台数の比較で考えると否定はできないのですが、それでも、「ファミコンが発売された1983年が家庭用ゲーム機元年」という理解が一般的になっているのは、やはり「ファミコンの任天堂」や「ドラクエ」というネームブランドがインターネット時代をまたいで継続されていたからこそ、なのだと思います。
そして、その裏返しで、ネット時代まで生き残らなかったゲームは、インターネットに情報ロンダリングされてリセットされてしまったような気がします。
26.実はメチャクチャ面白い!1980年代以前のゲーム史
ということで。
「なんちゃってゲーム現代史」なんて名前をつけて、1990年以降のゲーム話題だけで煙に巻いてしまおうかな、と思ってしまっていた部分もあったのですが、不勉強ながら、それなりに1990年以前のゲーム事情も含めた図を作ってみました。
作成にあたっては、一点、もともとの、なんちゃって図で「手を抜きすぎてしまったなぁ」と反省しているがあって、「携帯ゲーム機」の扱いがそれです。
左端の「家庭用ゲーム機」を見ていただくと手抜き感が分かるかと思います。
この通り、この時には、据置き型と一緒にしちゃえ、と「家庭用ゲーム機」に混ぜてしまったのですが、「これはさすがにナイなぁ」と思い直し、今回の機会に別カテゴリに分けてみました。
ですので、携帯ゲーム機の項目追加は、「なんちゃって」の見直しとは違う部分で修正をかけたこと、あらかじめご了解ください。
ということで。
こちらが、「さくらだ版ゲーム現代図」です
ごちゃごちゃ(笑)
それだけ、1990年以前もアナログ、デジタルともに様々なゲームが切磋琢磨していたということでもあります。
さて、ここから、いきなり、「なんちゃってゲーム現代図」との間違い探しをしても良いのですが、少しだけ図の補足をしておきたいと思います。
まず、年表スタートを1973年にした理由ですが、これは、デジタルゲームのスタートといえるアーケードゲーム1号機発売にしておくのが良いかな、という思いからです。ちなみに、1973年に登場したゲームはセガの「ポントロン」とタイトーの「エレポン」。
なんと、YouTubeに「ポントロン」の動画があがっていました!
ホント、便利な時代…
PONG-TRON [SEGA] -Arcade - (1973)
一方で、アナログゲームをターゲットにしてしまうと果てしなく遡ることになりますので、デジタルゲームを区切りとしました。
そして、1984年に薄くスポットを当てているのは、もちろん、
「火吹山の魔法使い」の発売年をマークすることで、「これ、ゲームブックのコラムだぞ」と自戒するためです。
それから、海外発祥のゲームについては、国内版が発売された年をターゲットにしています。
また、例えば、アーケードゲームなどは2007年の「ガンダム戦場の絆」以降の記載がなかったりと図にあちらこちらに穴が存在しますが、これはもちろん新しいゲームが出ていないわけではなく、見やすさのため、もしくはエポックメイキングな作品が見当たらなかったため、そしてさくらだの知識不足のためです。
すみませんっ
というところで、今度はこの1973年以降のゲーム現代図をもとに改めてゲームの流れを見ていきたいと思います。
その前に、もう一つ釈明と補足をさせてください!
実は、のっけから、図を作るにあたって「無理ーっ」と逃げてしまった部分がありまして…
ここに本来系統の一つとして入るべき、国内の大衆向けアナログゲーム初期を完全に誤魔化しちゃいました。
ただ、このあたりを系統として並べてしまうと1950年以前にまでさかのぼることが出来てしまうので、なかなか切り分けが難しいんですよね・・・(言い訳)
そうは言いながらも、この時代にも定着していたゲームとして完全にスルーするのもよろしくありませんので、図の解釈に入る前に、まずは、大衆ゲームの補足(と言っても、少しだけ…)からしておきたいと思います。
27.1980年以前にも存在していた、こんな大衆ゲームたち
あらかじめ、情報ソースをだしてしまうと、1980年以前のゲームについては、辰巳出版さんの「日本懐かしボードゲーム大全」をかなり参考にさせていただきました。
こちらの情報をベースに、簡単ですが主だったゲームを並べてみたいと思います。
★ダイヤモンドゲーム(1933年)
おそらく、将棋・囲碁といった「伝統ゲーム」を除くと、このゲームが国内での現代ボードゲームのスタートなんじゃないかな、と思います。
星型の盤面の一片にコマを並べて、対角線のエリアに全部のコマを一番最初に移動させれば勝利なんですが、通常1マスしか進めないところ、隣にコマがあると飛び越えることができ、このジャンプは連続OKという部分で配置予測させる仕掛けが絶妙です。
このゲームのさらに凄いのは、90年経ってもほぼルールを変えずに今も販売されていることです。Amazonでも手頃な価格で入手が可能です。
- マグネチック キングダイヤモンド
- ハナヤマ(HANAYAMA)
- おもちゃ
★野球盤(1958年)
まさに野球が国民的スポーツだったころのゲームの定番です。そもそも、エポック社はこの野球盤を売り出すために会社を設立した、という経緯があり、会社と野球盤の年齢が一緒というのがまず面白ポイントです。
ゲームは言わずもがな、パチンコ玉を投げる、打つ、盤内にあるくぼみに玉が落ちたらそこの結果(アウト、ヒット、HR等)に従って処理する、というシンプルなものですが、それ自体が野球本来の面白さとマッチしていたのがゲームの核心かと思います。
「巨人の星」の星飛雄馬が投げる「消える魔球」を実装する話は、野球盤を遊んだことがない人でも知っているほど有名です。
こちらは、様々な機能を追加、変更しながら、やはり今も人気商品として販売されています。
- エポック(EPOCH) 野球盤 3Dエーススタンダード
- エポック(EPOCH)
- おもちゃ
★人生ゲーム(1968年)
ザ・国民的ボードゲーム、ですので何も言うことないですが、その原型である「The Checkered Game of Life」はアメリカで1860年に作られ、1960年に100周年記念で作成された「The Game of Life」の日本語版が「人生ゲーム」として発売された、というほど長い歴を持っていたりもします。
発売当初は、あえてアメリカを舞台とすることで、「人生」と銘打ちながらあまり現実的になりすぎないようにゲーム感を重視し、結果「貧乏農場」といったビックリするようなフレーズも使われていましたが、その後は時代とともに流行に合わせたゲーム性を柔軟に取り入れて、今でもファミリーゲームの王様として君臨しています。
- 人生ゲーム
- タカラトミー(TAKARA TOMY)
- おもちゃ
★生き残りゲーム(1973年)
名前のドギツさが昭和ゲーム感満載ですが、マス目に穴が空いた盤面の下の縦横に、同じく一部穴の空いた板が通してあり、この板を押し引きしながら、盤面に置かれた自分以外の色の玉をすべて落とせば勝ち、という見た目はシンプルだけど頭を使う、タイトルからは想像できないとてもスタイリッシュなゲームです。
板を動かした時に、徐々に穴が見えてくるスリルはプレイした人ならでは感覚で、これぞアナログゲームの真髄と思います。
もともとタカトク社がだしていましたが、現在は名前を「ステイアライブ サバイバルゲーム」と変えて、ハナヤマから販売されています。
- ハナヤマ ステイアライブ サバイバルゲーム
- ハナヤマ
- おもちゃ
★お化け屋敷ゲーム(1980年)
ゲーム性に「面白さ」と「怖さ」を盛り込み、累計80万本を販売した、まさに「おばけ」ゲーム(言ってみたかっただけです…)。
ゲームマップはスタンダードなすごろくタイプながら、サイコロやルーレットではなく手札の移動カードの数値で進み、道中で襲ってくるおばけに対しても「力」「勇気」「知恵」のカードで戦う、といったカードの魅力を全面に押し出したゲーム感は当時は斬新なもので、難易度の程よい高さも相まって、何度でも遊びたくゲームに仕上がっていました。
2004年に一度再販されましたが、現在は絶版となっているようです。
- おばけ屋敷ゲーム
- バンダイ(BANDAI)
- おもちゃ
★エポック社の日本旅行ゲームいい旅20,000キロチャレンジ(1980年)
いつの時代も、子供は一度は鉄道に興味を持つものですが、この時期は「紙の上旅行」といった、時刻表を使いながらいかに効率的に路線を使って目的に到着するか、といった遊びが存在するほど、鉄道はゲームと親和性が高い存在でした。
そんな中、国鉄(現JR)が企画した「いい旅チャレンジ20,000km」という路線踏破キャンペーンが組まれたのですが、これが子供どころか大人心も惹きつけない訳がなく、TV番組などが人気となる中で、ボードゲームも発売され約束された大ヒット商品となりました。
ゲームの内容も本格的で、駅名、電車名が正確なことはもちろん、線区を把握することにも役立つため、遊んでいるうちに知識も身につくという、学習要素にも優れたゲームでした。
日本旅行ゲームはその後も、様々なかたちで発売されていますが、Switchで桃太郎電鉄がブレイクしたことを見ても、鉄道とゲームの相性の良さは鉄板でしょう。
- エポック社 いい旅 チャレンジ20,000km 絶版
- エポック社
- おもちゃ
うーん、結構絞ったつもりですが、紙面を使ってしまいました・・・
でも、このラインナップを見ていただいて分かるように、1980年以前も国内大衆向けボードゲームはメーカーこそ限られていましたが、遊ぶものに乏しかったわけではなく、様々なスタイルのゲームが展開されていたことが分かるかと思います。
そして、これらのゲームは娯楽としての価値を肯定的に認知されていた、ということも非常に大きなポイントです。
これだけ、ゲーム界に大きな足跡を残して来たのですから、当然「ゲーム現代図」に書き残して当然、なのですが、不思議と同列に並べることをためらってしまう・・・。
理由の一つは、もちろん、今回設定した「1973年から」という枠に収まりきらないから、というのもあるのですが、ここまで話を進めて来て、ハッと思い当たりました。
実は、このゲーム現代図、作るにあたって、見ていただいた通り、縦軸に年代、横軸にゲームジャンルと並べたのですが、もう一つ表現したいけれど諦めた「高さ軸」がありました。
それが「認知度」です。
28.あまりにも認知度が高かった「人生ゲーム」
ここまで、当たり前のように書いてきましたが、基本、「ゲーム」はマイナーなジャンルです。ついつい、これを忘れてしまうのは、現在は、あらゆる情報がフラットに手に入るようになって、メジャーとマイナーの垣根がなくなる、というよりは、簡単なきっかけ一つでマゼコゼになる、そんなカオスな時代だからです。
実際、今、ゲームのどのジャンルを見ても、ネットで検索すれば必ず探したいものが見つかりますし(逆に、制作側もそれを期待してネット展開してますし)、SNSを覗けば誰かしらがその事をつぶやいていることが分かります。YouTubeで、「まさかこの動画はないよな」と思っていると、実はいくつも出てくる、というのは、このコラムでも何度も遭遇したことです。1984年の秋葉原とか、「ポントロン」の動画とかあるとは思いませんでしたもん。
とは言え、やっぱり、「ゲーム」はあくまでもマイナーなジャンルで、私はこのマイナーなジャンルの一つ、ゲームブックの話をしていたりします。
まだ、ほとんどゲームブックの話、してないですけど・・・
それは置いておくとして。
そういったわけで、このマイナーなゲームというジャンルにスポットを当てたとき、例えば1984年には、アナログ、デジタルゲームとも横並びで様々なジャンルが出ていますが、等しく認知度があったわけではなく、むしろ、やや暗がりのなかでも濃淡があったものを、ある意味強制的に光を当てているかたちになります。
そのマイナーなジャンルを、栄枯盛衰を交えて一覧的な図におこそうとするとき、何が困るかというと、最初から光が当たっていて、しかも時代を超えて知名度のあるゲームがとても表現しずらいんです。
そう、「人生ゲーム」、あなたです!(笑)
もちろんこれは冗談なのですが、真面目な部分もあり。
現在は様々なジャンルのゲームが一般的に知られるようになって、人生ゲームもその中の一つとして「ああ、あるある」とすっかり全体の中に溶け込んでいますが、1980年代のゲーム観では「人生ゲーム」をはじめとした大衆向けゲームは、ゲーム界では圧倒的強者でした。
ですので、それぞれの時代でゲームの趨勢を語る際には、必ず枕詞のように「もちろん、この当時も人生ゲームの人気はありましたが」といったフレーズを毎回差し込むことになりかねず、でも、さすがにそれはいいかな、と。
ただ、それだけ、日本の大衆向けゲームには歴史と認知度があって、ゲーム業界にとってその貢献度は図りしれない、ということも間違いなく、ただ避けるだけではなく、しっかりと「殿堂入り」的な意味合いで切り出して話をしてみたかった、という次第です。
人生ゲーム おそるべし、です。
そういえば、最近聞いた話で「なるほどー」と思った話があります。
ゲームというものは大きく3つのカテゴリに分かれる、と。
1.伝統ゲーム(将棋、囲碁、チェス等)
2.大衆(マス)ゲーム(人生ゲーム、オセロ等)
3.愛好家向けゲーム
大雑把なまとまりのように見えて、的を射た分類だと思います。
そして、この話を聞いて、私は改めて悟りました。
ああ、私はこのコラムで何が言いたかったかというと、「愛好家向けゲーム」の話をしたかったんだなぁ、と
ですので、この図の中に将棋や囲碁、人生ゲームを入れたがらなかったんだろうな、と妙に納得してしまいました。
いや、この3つの分け方、本当に絶妙な分類だと唸ってしまいます。
さて、では、いよいよ、大衆ゲーム以外のゲーム事情について見ていきたいと思いま
・・・うーん、これは次回かなぁ。。
(つづく)