今さら?今だから?Vtuberを学ぶ③-序:アーケードゲーム各ジャンルの歴史その3-
2024年の酷暑に打ちひしがれている さくらだです。
毎年暑い暑い言っていますが、今年はまた格別です。
こういうときは、家にこもってブログの続きを書くに限ります(笑)
ということで、引き続き、ビデオゲームの中でジャンル確立に多大な影響を与えた偉大なゲームと果たした役割などを掘り下げてみたいと思います。
1978年 スペースインベーダー
1980年 パックマン
1982年 ポールポジション
1988年 テトリス
1989年 アドベンチャークイズ カプコンワールド
1992年 ストリートファイター2
→ここから
1997年 beatmania
2002年 WCCF(WORLD CLUB Champion Football)
麻雀格闘倶楽部
2005年 三国志大戦
THE IDOLM@STER
さすがに、本筋の話ではありませんので、ここからはもう少しコンパクトに話をしていきたいと思います。
毎回、思ってはいるんですが・・・
6.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(4)
1997年 beatmania
「音ゲー」または「リズムゲー」というジャンルは、今から見ると、ビデオゲーム初期から稼働しているような存在感を持っていますが、実際には、まだ登場から20年も経っていません。
アーケードゲームの歴史自体がまだ60年も経過していない新しい分野ですが、その中でも「音ゲー」は意外にも新しいジャンルの部類になります。
ちなみに、「音ゲー」は、楽譜のように、予め押すボタン(などの操作装置)や押すタイミングが決められている譜面に対して、音楽のリズムに合わせて流れる譜面の通り正確に操作を行って、その精度の高さを競うゲームです。
「音ゲー」の起源を紐解くと結構はっきりとして、「beatmania」が登場する前年、1996年にコンシューマーゲーム機であるプレイステーションから発売された「パラッパラッパー」が最初であると言われています。
その意味では、前例がない状態から生み出された「音ゲー」の始祖としてパラッパラッパーがまず登場し、それをアーケードゲームでなければ実現できない表現方法に昇華させてジャンルを確立させたのが「beatmania」と言えます。
では、なぜ2000年間近にならないとこのジャンルのゲームが誕生しなかったのか、というのを考えてみると、その理由は「パラッパラッパー」作者へのインタビュー記事がヒントになりそうです。
吉田:『パラッパ』の制作が始まったのはいつごろでしょう。
松浦:1994年ごろでしょうか。PlayStation®の発売後のことです。
吉田:当時はミュージシャンであり、ゲームディベロッパーではありませんでしたよね。
松浦:そこが重要なんです。『パラッパ』が完成してプロモーションをする段階になり、このソフトをどのようにアピールするかとソニー・コンピュータエンタテインメント(現SIE。以下SCE)のスタッフの方々とディスカッションしました。当時は多くのスタッフが「これはゲームではない」とおっしゃっていたのを覚えています。僕としても、これがゲームなのかどうか曖昧で、自分でもよくわかっていませんでした。
つまり、当時は制作者サイドからして、
「音ゲー」がゲームであるか確信が持てなかったみたいなのです。
そう言われてみて、改めてゲームの仕組みを見つめてみると、その言わんとしていることがイメージできます。
「ストリートファイター2」でも触れましたが、ゲーム、特に一般的に言われる複数人で遊ぶタイプのゲームでは、「必勝法がない」というのが重要な前提になります。
一人で遊ぶゲームにしても、例えばシューティングゲームなどは、最初はどうやってマップを進んで敵を倒せば良いのかわからない状態からスタートして、試行錯誤のうえでクリア方法を見つけ出し、最終的に面のクリアが可能な、つまり必勝法にまでたどり着く、という道筋があります。
この自分で道筋を探す部分を、最初から「こうして、こうやれば必ずクリアできるよ」と説明されてプレイしては面白さが半減します。
いや、ゲームの種類も情報も溢れている今の時代においては、「試行錯誤」という時間の消費自体が苦痛だ、という方もいますので、「当時は」と言った方が良いかも知れません。
あえて、ラフに言い切ってしまえば、解き方の分かっているゲームのプレイは、
「ゲーム」ではなく「作業」だ
と言えるかも知れません。
果たして、決まった作業をする内容にお金を出す人がいるのか・・・
ですが、思い返してみると、
「作業ゲー」って面白くなかったっけ?
RPGではレベリング作業に没頭し、シューティングゲームやアクションゲームだって一度クリアしたらそれまで、という訳でもなく、解き方が分かっているのに二度三度と遊び直してしまう。
実は、「ゲーム」を「遊び」という視野まで広げてみると、そもそも、あらかじめ決まっている規則をその通りに実行して実際に成功させる、ということだけで「遊び」として立派に成立しているのです。
このことは、歴史家であるヨハン・ホイジンガさんが1938年に遊びについての研究を発表した「ホモ・ルーデンス」でも触れられています。
「ホモ・ルーデンス」は、それまで文化史や生物学、心理学に従属する一要素として研究されていた「遊び」について、「遊びは文化より古い」として独立した学問(ルドロジー)を提唱しました。
少し言葉遣いなどは難しいですが、「遊び」の解像度を高めてくれますので一読すると目からウロコが落ちること請け合いです。

- ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み (講談社学術文庫)
- 講談社
- Digital Ebook Purchas
少し一節を引用してみましょう
遊びにぴったりした修飾語の一つとして我々はすでに緊張を数え上げた。この緊張の要素こそ遊びの中で特に重要な役割を果たすのである。(中略)この緊張の中で遊ぶ人の能力、たとえば、彼の体力、耐久力、臨機応変の才、勇気、根気などがためされ、同時に、彼自身遊びに勝とうと熱望しつつ、しかも、あらかじめ定められた遊びの規則を守りとおすように余儀なくされる点において、彼の精神力も試されるのだ。遊びに特有な秩序と緊張の特質は我々を遊びの規則の省察へと導いていく。
いやあ、挙げておいてなんですが、難しい・・・
さて、やっぱり文章が長くなってしまったので、そろそろ纏めに入りましょう。
まあ、ホイジンガさんを出すまでもなく、
楽器や歌などで、演奏や歌唱がうまくできれば気持ち良いのは分かってますし
なんなら、
カラオケなんて、音程外しても気持ち良いですしね(遠い目)
ただ、デジタルゲームという未開拓の分野を前にして、そんなプリミティブ(根源的)な遊びと紐づけることが出来るのか、という不安はあったのかも知れません。
「beatmania」は、そんなプリミティブな遊びの快感に振り切ったことで、大成功を収めた作品だと思います。
個人的に、「beatmania」は大きく三つの根源的な遊びの「快」を合体させた作品だと考えています。
1.演技をする、なりきる
「beatmania」は、まずその筐体のド派手さでプレイヤーの度肝を抜きました。まるでディスコ(今では死後ですが)に置いてあるような、ギラギラでクールなガワに、ボタンではなく5つのキーボード、そしてターンテーブル!
「あれを意のままに操作できたらカッコいいだろうな」というワクワク感を見た目から与えてくれた、それが「beatmania」でした。
筐体の画像がこちら
そして、鍵盤を模した5つのボタンとターンテーブルです
「beatmania」は、他の人がプレイしているのを見て、自分もやってみたくなる、そんなカラオケのような磁力を持った魅力で、これまでゲームセンターに来ていなかった人も取り込むことに成功しました。
ターンテーブルを採用したのは、80年代のディスコブームで当時の若者がDJという、ユーロビートをミキシングすることで観客の盛り上がりを支配する姿への憧れを持っていたのも影響しているでしょう。
2.作業を単純化、視覚化して模擬する
とは言え、本当にDJに憧れるのであれば楽器や音楽を勉強して、ディスコに入り(といっても、この後1992年から始まったバブル崩壊によってディスコブームは一気に衰退してしまうのですが)、DJを目指せば良いわけで。
それは極端な例えですが、ただ、DJが使う装置を模してモノマネをする、というだけでは傑作ゲームにはならなかったはずです。
そこには、
素人でもそれっぽくなりきれる
というゲームに落とし込むための簡素化が必要になります。
考えれば、現実の簡素化はゲームの基本で、野球盤であれば野球を、人生ゲームであれば人生のエッセンスを取り出して遊ぶことでゲームとして成立しています。
「beatmania」にとっては、5つの鍵盤っぽいボタン、そして(レコードの乗っていない)ターンテーブルがそれにあたりました。
ボタンもターンテーブルも、実際のDJの操作とは全く異なるものでしたが、雰囲気に没入して楽しむには十分に興奮できる仕掛けになっていたのです。
3.褒め続ける
ゲームの面白さの根源は「ストレスと開放」にある、と良く言われています。
前述のホイジンガさんの引用でも、緊張を重要な要素として挙げていました。
例えば、シューティングゲームやアクションゲームは、各ステージをクリアするまで、敵の攻撃や障害物を避けていくため(それも面白くはあるのですが)ストレスを抱えながらプレイをします。そして、ステージをクリアした瞬間、ストレスが開放されることでより大きな快感に結びつきます。
ところが、「beatmania」はその逆をいきました。
操作一つ一つの成否判定を細分化し、かつ成功したら褒めるようにしたのです。
例えば、ゲーム画面に流れる譜面に合わせて所定のキーボード(ボタン)をタイミング良く押します。
ただ、この「タイミング」は、さらに正確度に合わせて5段階で成否が表現されました。
JUST GREAT
GREAT
GOOD
BAD
POOR
もちろん、タイミングが合わないと「BAD」「POOR」という残念な表示がでてしまいますが、逆に1回正しいキーボード操作をするだけで「JUST GREAT」「GREAT」と褒めてくれます。
そして、成功が続けば続くほど「GREAT!」と褒め続けてくれるのです!
それまで、修験者のようにクリアへ向けて少なからず我慢を強いられるゲームに対して、
この圧倒的自己肯定感!(ややカイジ風)
こうして、プレイする人も観ている人も分かりやすく楽しめる「音ゲー」というジャンルがこの後、しっかりとゲームセンターに定着していくことになります。
そして、「演技をする、なりきる」という部分は、その後「演奏する」という形を変えて、「ギターフリークス」や「ドラムマニア」というバンド楽器、また「太鼓の達人」では和太鼓、「サンバdeアミーゴ」ではマラカスといったように、その入力装置の形状を変えながら発展していきました。
さらには「踊ってみる」という分野にまで手を広げて「ダンス・ダンス・レボリューション(DDR)」が登場、これも新しいプレイヤー層を巻き込んで大ブームを起こしました。
音ゲーは家庭用ゲーム機でもいくつも移植されましたが、このジャンルの基本となる面白さを考えてみれば、今もゲームセンターでこそ最も輝く分野かも知れません。
7.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(5)
次は2002年のゲームの順番ですが、その前に一つ、ゲームというよりもシステムについて、その後に大きな影響を与えたものとして紹介しておきたいと思います。
それが、磁気カード(その後ICカード)です。
この磁気カード、何かと言うと、プレイヤーにプレイ情報を保存するためのカードになります。
逆に言えば、それまでゲーセンでプレイした結果はそれっきりで記録を残すことはできませんでした。確かに、各ゲームの中で、ハイスコア表示やランキング表示は当初から存在していて、ランキングに入れば「アルファベットと数字3文字の組み合わせ」をインプットしてプレイスキルを誇示することもできましたが、閉店してゲームの電源が落ちれば記録はリセットされ、翌日には何事もなかったかのようにまっさらなランキング表に戻ってしまいました。
でも、当時もゲーム雑誌では全国のハイスコアのランキングが紹介されていたのでは?
確かに、ゲーム雑誌には全国ハイスコアを掲載するコーナーがありました。
ですが、それは、協力してくれるゲームセンターから情報を集計した結果のものであって、それ以外のゲームセンターで叩き出されたハイスコアは加味されていませんでした。
当時、雑誌のハイスコアを見て「自分のほうが高いスコア出せるのに」と歯噛みしていた人は沢山いたのではないかな、と思います(笑)
といった感じで、プレイ情報の保存、と言えば、まずプレイ結果、スコアの記録でしょう
というのは、過去から見た話でして
今の時代から遡って見れば、やはり「途中でセーブができる」というのが情報保存の一番大きいポイントになります。ゲームを中断できるということは、二つの可能性が広がることを意味しています。
1.プレイ期間が長くなるタイプのゲームも取り扱える
2.アカウント情報を保持できる
ここで気をつけておきたいのが、今日のセーブにおける利便性の一つである、「ゲームオーバーになってもセーブしたところからやり直せる」というのは、セーブ機能がもたらした副次的な恩恵であって、その基本は「プレイを中断しても、そこまでの記録が保存される」という部分にあります。
さて、もともと、アーケードゲームは、「3分で100円のインカム」という収益構造をベースとして考えていると言われています。
つまり、これまでの遊びきりのゲームの仕組みでは平均「3分でゲームオーバー」になってもらわなければならないという事になりますが、一方でプレイヤーが上達すればするほど100円あたりのプレイ時間は長くなる訳で、シューティングゲームやアクションゲームがゲームバランスに頭を悩ませる元でもありました。
(その意味で、ストリートファイター2が発展させたプレイヤー同士でゲームオーバーさせる、という仕組みは、もはや悪魔的に頭の良いアイディアだったと言わざるを得ません)
しかし、データ保存は、その考え方を覆すことができます。
なぜなら、プレイを途中から再開できるのであれば、
1プレイごとの料金にするのではなく、1パートごとに区切って料金を設定できるようになるのです。
1999年に登場した「ダービーオーナーズクラブ」は、初めて磁気カードを採用したアーケードゲームであり、パートごとのプレイに相性の良い競馬育成シミュレーションゲームをテーマとして登場しました。
つまり、調教・育成パートと競争パート、その繰り返しによってゲームを継続的にプレイしてもらう、言い換えれば区切ったパート単位でインカムをあげることが可能なのです。
しかも、競走馬は、現実でも数年で引退します。これはゲームとしても相性が良く、「10~20戦すると引退させて、また1からプレイする」とすることで、限られたパラメーターの中で違和感なく、かつ期間限定的に遊んでもらうことができました。
さらに、引退後には競馬育成シミュレーションの醍醐味といえる種牡馬、繁殖牝馬によるステータスの継承、という機能まで備えていました。これも馬の情報を磁気カードに保存することが出来るからこその機能です。
そして、情報を記録した磁気カードは、他のゲームセンターに設置されているゲーム機でも読み取ることができますので、よりフレキシブルに遊ぶこともOK、と至れり尽くせり。
こんなゲームがヒットしない訳がなく、稼働後爆発的に流行となり、常に行列ができるような人気ゲームとなりました。
しかし、この磁気カードを使ったアーケードゲームは、同時にゲームの一部を物理的に持ち出すことが可能になったことから、この後二つの懸念点を抱えていくことにもなりました。
一つは、磁気カードの不正活用。磁気にいわゆるバグを発生させることで、不正なデータを作り、そのバグで強化された情報によってゲームを荒らすという行為です。バグ技と言えば、ファミコンのカセット半挿しやプログラム書き換えなど、家庭用ゲーム機やPCでも存在していましたがそれでもまだプレイヤーだけの影響でした。磁気カードの不正は他のプレイヤーにも影響を与えることから問題が発生してからユーザー不満が噴出し、ゲーム会社は対応に追われていくことになりました。
もう一つは、RealMoneyTrade(RMT)つまり、磁気カードが現金交換の価値を持ち始めた
のです。もちろん磁気カードそのものに価値があるのではなく、強力なデータ、「ダービーオーナーズクラブ」でいえば、とてつもなく強い競走馬に育ったカードを売買する、ということが起きました。強い競走馬カードは現役であれば楽にゲームで勝てますし、引退しても強い種牡馬、繁殖牝馬として活用できます。
それは、アーケードゲームにもコスパ、タイパの概念(確実性に対価を払う)が入ってきた瞬間だったのかも知れません。
8.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(6)
2002年 WCCF(WORLD CLUB Champion Football)
1990年代後半、アーケードゲーム業界は対戦格闘ゲームブームも落ち着き始め、新たなヒット作、ヒットジャンルを模索している中、アナログゲーム業界ではTCGが一大旋風を巻き起こしていました。
いや、その作品名を見れば、過去形で語るのもおこがましいかも知れません。
1996年 日本語版マジック・ザ・ギャザリング
ポケモンカードゲーム
1997年 モンスターコレクション
1999年 遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ
2002年 デュエル・マスターズ
こうしてみると、TCGという業界は、まだその最初期から大きな変動が起こることなく今に至っていますので、既に完成形という考え方も取れますが、もしかしたら、あと2回、いや3回ぐらいは変身を残している可能性すらあります。
それはともかく、アーケードゲーム業界もこのTCGブームを見て何も感じない訳はありませんでした。
なんとかゲームセンターにもTCGのビジネスモデルを活用したい。
でも、TCGの基本はカードであり、これはアナログの範疇です。
ですが
磁気カードの登場がアナログとデジタルの隔たりをつなげることに成功しました。
そして、2002年6月、WCCF稼働開始。
プレイヤーは、サッカークラブを運営する、という設定のもと、2種類の磁気カードを駆使して遊ぶことになります。
一つは自分のアカウント情報となるプレイヤーカード。これは1プレイヤーが1枚ずつ持ち、ゲームをプレイする最初にゲームに読み込ませるものです。これによって、いつ、どのゲームセンターで遊んでも同じプレイヤーとしてゲームを継続することが可能になります。
そしてもう一つが選手カードです。サッカーの場合は当然11名の選手が必要になりますので、11枚の選手カードを用意する必要があります。この選手カードにも磁気カードが使われ、選手の能力はセットしたカードのデータ情報を読み取ることでゲーム上の選手に反映されます。
マジック・ザ・ギャザリングにおける「基本セット」のように、最低限遊べるようにするための「スタートパック」が販売されていて、スタートパックとプレイヤーカードを用意することで遊び始めることが可能です。
そして、磁気カードのこの二つの機能が、新規勢を巻き込みながらゲームプレイヤーをかつてない中毒性の高い面白さの沼に落とし込むことになりました。
まず、ゲーム筐体からしてこれまでとは異質でした。
正面のゲーム画面とは別に、11枚の選手(と控えの5枚)を置くためのフィールドがまさにサッカーフィールドとして描かれているのです。
ここに、FW、MF、DF、GKのカードを並べていく訳ですが、そのカードには実際にセリエAで活躍している選手たちの実写、それにテクニックやスピードなどの能力パラメータが載っています。
そんなトッププレイヤーのイレブンを
自分の手でフィールドに並べていく快感
まさにクラブオーナーになった気分です。
そして、同時にスタートパックのメンバーで構成されたメンバーを見て、こう思わないはずがありません。
あの選手がいればもっと強いのになぁ
実際プレイをすると、1プレイごとの最後で新しいカードを受け取ることができます。
このカードがTCGと同じくパックに入っていて、開封するワクワク感を高めてくれます。そして、良い選手ほどレアリティが高いのです。
これはもう見えている底なし沼でした。
最初のうちは、コツコツと出てきたカードを既存の選手と比べながら少しずつ確実にチームを強くしていく流れでコレも育成ゲームとして楽しいのですが、ある時、レアリティの高いスター選手を手に入れた瞬間、チームが劇的に強くなりゲームプレイヤーのドーパミンが大量分泌されます。
こうなると、「もっとゲームを楽しみたい」と「もっと強いカードを手に入れたい」のらせん構造が生まれ、さらにプレイヤーカードによってゲームを継続して遊ぶことが出来るのですから、止め時のないゲームとなっていきます。
さらに、プレイヤーカードは、ゲームセンターにこれまでなかった文化を作ります。
それは固定ハンドルネームの有名化です。
アーケードゲームはこれまで記録を残すことができなかったため、どれだけプレイスキルが高いプレイヤーであっても、そのプレイヤーには名前が存在せず、初期であれば「あのゲーセンにスゴい上手い奴がいる」という噂が飛び回ったり、格ゲーブームの際には、キャラの使い手とロケーションを合わせて、「新宿ジャッキー」や「池袋サラ」といった呼び名が流通したりしていました。
ところが、プレイヤーカードでは、自分でプレイヤー名を作成してそれを記録しておくことができます。
さらにネットワークに接続されていることで、各種ランキングにその登録した名前があがってくることになります。
これは、ランキングを目指すというプレイヤーのモチベーションを高めるとともに、ついに
ゲームプレイヤーがハンドルネームとは言え個々として認識できるようになったことになります。
WCCFは、同年に日韓ワールドカップが開催された追い風も受けて、稼働から爆発的なヒットになります。
そして、カード排出という新しいビジネスモデルはプレイ単価を引き上げる(1プレイ200円、3クレジット500円)ことにも成功します。
その結果、ニュースにも取り上げられるようになり、
サラリーマンの彼氏が月に20万円以上つぎ込んで困っている彼女、といったインタビューも出てきてしまうような社会現象になりました。
もう一つ、選手カードにレアリティ、優劣がついたことによって、TCGと同様、カードショップの売買の元になることにもつながっていきました。
このアーケードTCGはWCCFだけでもある程度確立されていましたが、後述する「三國志大戦」によってその後10年以上定着するようになります。
9.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(7)
2002年 麻雀格闘倶楽部
麻雀ゲームと言えば、そのスタートは一人専用ゲームであり、脱衣麻雀であって、子供の目に触れにくいゲームセンターの片隅にひっそりと置かれているカスミソウのような存在でした。
そもそも、麻雀ゲーム自体はその思考ルーチンの程度はともあれ、PCやファミコン初期からも発売されていて、脱衣要素でもなければそもそもわざわざゲームセンターで遊ぶ必要のないジャンルでもありました。
麻雀の醍醐味は対戦してこそ、というのが麻雀好きの熱望していたところですが、これもインターネットが普及した1990年代後半に「東風荘」や「ハンゲーム」など、やはりPCで(しかも無料で)遊べるソフトが登場したことで、ゲームセンターには縁がなさそうに思われました。
ただ、PCの無料ネット麻雀にも欠点がありました。
それは、麻雀を打ち慣れていないユーザー層でもプレイできてしまうことです。
これは、一見プレイヤー数の増加につながり良い点に感じますが、初心者と打ち慣れている人ではゲームのスピードに圧倒的な違いがあるため、ストレスがたまりがちでした。
しかし、それよりも大きな問題がありました。
負けそうになると切断して逃げる「切断厨」が多かったのです。
これは、麻雀に限らずインターネットゲーム初期から続く悩みのタネでした。
それを防ぐためには、あえて有料サイトにしたり、信頼できるメンバーだけでコミュニティを作ってプレイしたりと工夫を重ねる必要がありました。
しかし、そんなズルを許さない環境があります。
それがゲームセンターです。
それまでも、店内対戦に限って4人打ち麻雀可能なゲームなどもごく一部で稼働していましたが、やはりネットワーク対戦が可能となり、かつ磁気カードによりアカウント情報を保持できるという環境が決め手でした。
WCCFとは異なり、すでにPCでも実現している対戦麻雀という分野が果たしてゲームセンターで人気を呼ぶかやや不安視もある中、2002年に「麻雀格闘倶楽部」は稼働。
そんな心配は杞憂で、それまでPCで遊んでいなかった人も新規に巻き込み、この作品大ヒット作品となりました。
そして、真剣勝負ができることによって、対戦結果によるランキングや段位進呈など、強さを競うプラットフォームとしても非常に優秀でした。
もともと、麻雀打ちは「俺ツエー」という自信家が多かったこともありネットワーク対戦とは相性が良かったのですが、当時なかなか表に出ることのなかったプロ雀士とも対戦コラボができるというのもの他のゲームにはない新たな試みでした。
こうして、ゲームセンターは「真剣勝負が出来るネットワーク対戦」というメリットを生かしてPCや家庭用ゲーム機へ対抗していきました。
この戦いは、スマホの登場により両者リングアウト負けになるのですが、それはまた別のおはなし・・・
10.そして次回でなんとかVtuberに入れる、はず・・・?
さてさて、前座として軽く触れようと思ったはずのゲーセン各ジャンル発祥の経緯の掘り下げですが、3回使っても終わらず・・・
でも、なんとか次回で終わることができそうです。
そこから、ではVtuberは・・・というような話ができればと思います。
(つづく)