今さら?今だから?Vtuberを学ぶ②-序:アーケードゲーム各ジャンルの歴史その2-
久々、新しいテーマでコラムを書き始めたものの、スタートから迷走して全くVtuberとは関係のないところを彷徨っている さくらだです。
前回は、「新規ジャンルって、どういう分野から参加してくるのかなぁ」という素朴な疑問から端を発して、ひとまずアーケードゲームの各ジャンルの礎となったゲームについて紐解いてみました。
まあ、イノベーター理論に拠れば、ブームになる前の一番の先駆けとなる人たちというのは全体の2.5%だ、という話もありますので、私みたいな凡人がそこに入るというのは偶然でもなければ無いわけではあるのですが、こうして既に発生したブームを後で愉しんだり、制作秘話などから登場当初の感動を追体験することはできる訳で、書物だけでなくネット記事や動画でそれが可能になったのは本当に有り難いなぁ、と思います。
ということで、今回は前回に引き続き後のジャンルを確立させた偉大なアーケードゲーム第二弾を観ていきたいと思います。
1978年 スペースインベーダー
1980年 パックマン
1982年 ポールポジション
1988年 テトリス
1989年 アドベンチャークイズ カプコンワールド
→ここから
1992年 ストリートファイター2
1997年 beatmania
2002年 WCCF(WORLD CLUB Champion Football)
麻雀格闘倶楽部
2005年 三國志大戦
THE IDOLM@STER
3.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(2)
1992年 ストリートファイター2
ビデオゲームにいくつか訪れたブームの中で、ゲームセンターを支えたゲームはいくつもありますが、ゲームセンターを救ったゲームと言えば対戦格闘ゲーム(格ゲー)ブームの先駆けとなった「ストリートファイター2」が筆頭となるのではないでしょうか。
ゲームセンター業界は、1978年のスペーズインベーダーの大ブームをきっかけとして全国で一気に店舗数を増やしました。一方で、実はこのブームは2年も立たずして終息してしまったため、ゲームセンターとしては第2、第3のインベーダーゲームを出していく必要がありました。
幸い、当時のゲーム開発者の発想力と実現力は凄まじく、その後も「ギャラクシアン」「パックマン」「ドンキーコング」など優れたゲームが生み出されましたが、それでも追いつかない程ののっぴきならない外的要因が発生しました。
ファミコンとゲームボーイの登場です。
1983年 ファミリーコンピュータ発売
1989年 ゲームボーイ発売
1990年 スーパーファミコン発売
それまで家庭用のデジタルゲームとして、テレビにつないで二人で対戦するボールゲーム機や、携帯型の液晶ゲームの「ゲーム&ウォッチ」、LSIゲームなどはありましたが、これらは表現もかなり限られたものであるうえ遊び方も決まっているので、飽きてしまえばそれまでというものでした。
ですから、当時非常に優れた描写やゲーム性を表現し、また様々な種類のゲームを設置しているゲームセンターはゲーマーにとって夢の世界だった訳です。
ところが、ファミコン、そしてゲームボーイの登場はその立場を逆転させました。ハード機器を持っていれば、後はソフトを買い替えるだけでゲーセンに匹敵するようなゲームが楽しめるようになったのです。
このあたりの話は、以前のコラムでも書きましたのでよろしければ一読ください。
特に、テトリスはその象徴的な一例で、1988年にゲームセンターで展開されて一大ブームになったのは前述の通りですが、実際に全国の一般層に認知されるようになったのは、翌89年に発売されたゲームボーイ版テトリスによるものでした。
このゲームボーイ版テトリスは、2600円という低価格だったこともあり大ヒット。
最終的に424万本販売されましたのでまさにバケモノ
ローンチながら、ポケモンに抜かれるまでの約7年間トップセールスを守り続けました。
さて、すっかりメインの話を忘れかけていました(汗)
そんな訳で、1990年前後のゲームセンターは客層をコンシューマーゲームに奪われる苦しい状況が続いており、実際、この時期に特に中小規模のゲームセンターの店舗数は大幅に減少していました。
かつてゲームセンターの華形だったシューティングゲームも以前ほどの勢いはなくなり(ちなみに、主にシューティングゲームを取り扱うことで人気だったマンガ「ゲームセンターあらし」は、ファミコン販売と同年の1983年にコロコロコミック連載を終了)、ゲーム業界はかつてのエレメカのような箱ものを含めた筐体タイプも含めて試行錯誤を続けていました。
その中で、人型の横アクションゲーム(マリオなど)や格闘ゲーム(スパルタンX、ファイナルファイトなど)というのは、それでも一定の人気がありました。描画能力があがったことで、これまではドットでも組みやすい「宇宙船とエイリアン」という構図が多いシューティングゲームに比べ、人間を中心とした没入感の強いキャラクターを使うことで、より熱中度が高まったのだと思います。
そして、大型筐体と格闘ゲームの組み合わせで登場したのが「ストリートファイター2」の前身である「ストリートファイター」でした。
「ストリートファイター」では、後の「ストリートファイター2」に引き継がれるような画期的なシステムをいくつも取り入れていました。
・レバーボタンを後ろに入れると「ガード」判定として攻撃を防御する
・コマンド入力により必殺技「波動拳」「竜巻旋風脚」「昇竜拳」を出せる。
・攻撃に「小・中・大」の概念を取り入れる。
・対戦可能。
こうして見ていると、既に「ストリートファイター2」の主な要素をは既に前作で実現していて、むしろ初代こそが対戦格ゲーを引っ張ったのではないか、という風にも感じるかも知れません。
確かに、「ストリートファイター」もその画期的なシステムで人気があったのですが、
あまりに尖りすぎたシステムも搭載していました。
それが感圧式の攻撃ボタンです。
百聞は一見にしかず、Wikipediaに当時の筐体の写真が掲載されています。
ボタンを拡大すると、
レバーと比較してあまりに巨大な赤と青のゴムパッドが並んでいます。
このボタンが感圧式で、弱く叩くと小、強く叩くと中、最大に押し込むと大の攻撃をしてくれるのです。
そして、コマンド必殺技を入力して感圧式ボタンをタイミングよく押すことで「波動拳!」という音声とともにRYUが手から波動拳を放ってくれます!
これは、一体感が半端ない!
必殺技はその威力も半端なく、まともに食らうとゲージが3分の1ぐらい減るため、そこも含めて決まった時の快感か格別だったりします。
いやあ、これはもう「ストリートファイター2」を待つまでもなく、革命的ゲームで、ゲームセンターを救うでしょう!
ということにはならず。
理由の一つには、対戦ゲームとして考えた場合は必殺技と通常攻撃のダメージバランスがあまり良くなく、メインは一人用のストーリーモードを想定していただろうこと。
さらに、必殺技の出力がシビアで、特に昇竜拳はゲームの勝敗とは関係なく出すことに成功した時点で遊んだかいがあったと思えるほど発生難度の高い技でした。
しかし、何よりも
ゲームクリアまでボタンを押し込む体力が持たない
ステージをクリアするにつれて敵はだんだん強くなるのに、腕力はどんどん落ちていく、という二重の苦しみに克服する必要のあるゲームだったのです。
思うにパンチングゲーム(サンドバック等を殴ってパンチ力を計測するタイプのエレメカ)の快感を想起したアイディアなのかな、と想像しつつも、これはインドア派の多いゲーマーには少し酷な仕様でした。そんな作りでしたから、対戦ゲームとして見たときにも、真剣勝負ではなくパーティーゲームのようにワイワイ仲間内で笑いながら楽しむイメージが強かったと思います。
そしてもう一つの大きな理由として、もともとビデオゲームが発展してきた経緯に「一人で遊べる」という部分が大きく、一部の他のゲームでも友人と楽しむために対戦や協力プレイという機能オプションを備えているものもあったものの、
まずもって見知らぬ人と対戦するという概念がありませんでした。
いずれにしても、そんな中で発売された「ストリートファイター2」は対戦格ゲーというジャンルを確立し、その後のビデオゲーム史を様々な意味で大きく変えるきっかけになりました。
4.アーケードゲーム各ジャンルの歴史を概観する(3)
個人的にストリートファイターが対戦格闘ゲームとしてヒットしたことでビデオゲームに大きな影響を与えたポイントは3つあると思っています。
1)ゲームセンターでの対戦ゲームの一般化
もともとゲームというは、1vs1もしくは複数名で対戦して勝者を決めるというのが基本的な構造でした。
実際デジタルゲームが登場した最初期には、その始祖と言える「Spacewar!」は1対1の対戦ゲームでしたし、ゲームセンターに最初に登場した「PONG」も同様でした。
アタリの成り立ち PDP-1 スペースウォー ATARI PONG ビデオゲーム コンピュータースペース ノーランブッシュネル
なお、当時のデジタルゲームの特徴として、半導体に書き込んだデータを基板上に設計するという仕様上、OS上のプログラムと異なりコピー等で同じ材料を入手することさえ出来れば容易にデッドコピー、つまり海賊版を作れるという悩ましい事情がありましたが、これについての法律的な整備が間に合っておらず、1980年前後までは、ヒットしたデジタルゲームは、翌年にはパチモンが出回るという悩ましい状態が続いていました。
まあ、各業界、今でも似たようなものではありますが
当然、利益や権利的なことが直接的な問題となりますが、個人的にはこれがアーケードゲームの文化にも影響を与えたのではないか、と思います。
はい、ここからは(ここまでも?)毎度、私の妄想メインです(笑)
つまり、「PONG」が登場した頃は、海賊版も含め1vs1で遊ぶという遊び方やゲーム制作が主流だったのが、1976年の「ブロックくずし」(ブレイクアウト)、そして何より1978年に登場した「スペースインベーダー」の空前の大ヒットによって、以降に雨後の筍のように乱立したゲームセンター、ゲーム喫茶をはじめとして「一人で遊ぶ用」のゲームが標準装備になったのではないでしょうか。
また、一人用というのは、「好きな時に遊ぶ」「暇つぶしに遊ぶ」というようにゲームを設置する側から見てもお客を呼び込みやすいビジネスモデルになっていること、喫茶店との相性も比較的良かったことも遠因しているかも知れません。
その後、シューティングゲームやアクションゲームがゲームセンターに並びましたが、そのほとんどは一人用、もしくは二人で遊ぶ場合もPlayer1とPlayer2が交互に遊ぶ、という形式が当たり前になっていきました。
映画「レディ・プレイヤー1」は、当時のビデオゲームではお馴染みの表示画面である、Plyar1,2の表示、そしてスタート前の「Ready!」を模したものであることは有名です。
結局、サッカーゲームなどスポーツ型のゲームだったり一部のゲームは対戦を前提としたものがありましたが、あくまでも「友達を誘って一緒に遊ぶ」という、和気あいあいとしたものでした。
例外は前述の「ファイナルラップ」で、最大8名というプレイヤーは、待ち行列を並んで偶然同じロットに鉢合わせた見知らぬゲーマーと対戦するかたちでした。
考えてみると、この「ファイナルラップ」に対戦格闘ゲーム文化の萌芽が見られたのかも知れません。(絶対おおげさ)
それは、具体的に言えば「相手を打ち負かす快感」です。
それまでのビデオゲームは、そもそも一人で黙々とコンピューターに挑む立場であり、あるいは友人と仲良く遊ぶためのものでした。
もちろん、「誰が一番上手いか」を競う意味での「勝利への渇望や勝利の愉悦」(言い方・・・)は初期からゲームの宿命として存在していました。
ただ、そのランキング方式は、一番高い得点を獲得する「スコアタック」だったり、速さを競う「タイムアタック」だったりと、ゲームプレイ自体は一人ひとりが自分の技量を高めた結果を比べ合うというものでした。
スポーツで言えばボウリングが近いでしょうか。
それが、「ストリートファイター2」では
いきなり、知らない相手との殴り合い
おそらく、当時のゲーマーも勝利に対する突然変異に喜ぶ前に戸惑ったと思います。
当時の状況は、石井ぜんじさんの「グレート・セブン・ゲームズ」でも詳しく書かれていますので、興味がある方はぜひ一読いただくと良いと思います。

- グレート・セブン・ゲームズ(時代を作り上げた7つのゲーム!!)
- standards
- Digital Ebook Purchas
この書籍の一節を引用してみます。
引用部の直前では、1991年3月に「ストリートファイター2」がゲームセンターに登場したこと、また横浜西口の100メートル四方に100台は稼働していたのではないか、という設置規模について記しています。
ところがこの時期は、ゲームセンターで対戦プレイを見かけることはなかった。このように書くと「そんなことはないはずだ、少しは対戦をしていた人はいたはずだ」と思う人がいるかもしれない。むしろその後の過熱した対戦ブームを考えれば、そう思う方が当然のように思える。しかし実際には、都内や関東の繁華街のゲームセンターを何件回っても、対戦プレイを楽しんでいる人たちを発見することはほぼできなかった。(中略)
関東近辺のゲームセンターで本作の対戦をしばしば見かけるようになったのは、同年の夏休み以降、9月くらいからである。
石井さんは当時ゲーム編集者として実際にゲームセンターに足を運んで実体験されていて、これは事実でしょうし、私も疑いなく納得してしまいました。
そう、見知らぬゲーマーと対戦して勝敗をつける、というのは、これまでになかった体験だったのです。
いや、言い直しましょう。
古来からスポーツや囲碁・将棋のような競技種目に存在していた「強者を打ち負かして勝者になる」というゲームスタイルが、ついにビデオゲーム界に導入されたのです。
これはある意味「禁断の果実」にして、ゲームである以上遅かれ早かれたどる道筋だったのかも知れません。
アナログゲームを振り返ってみても、「モノポリー」や「カタン」「カルカソンヌ」にだって日本(世界)選手権があるのですから、ビデオゲームで強さを競いたくないはずがなかった、とも言えます。
2019年度モノポリー日本選手権 決勝戦 2019 Monopoly Japan Championship Final
カルカソンヌ日本選手権2023 (Carcassonne Japan Championships 2023)
ただ、ビデオゲームにおいて「対戦」というハードルを超えるにあたり、ゲームとして未整備だった部分が3つ程あったと思います。(補足を入れると4つ?)
1.ルールの全てを開示できない
当たり前ですが、ゲームは行うにあたってゲーム参加者がルールを把握してかつ了解している必要があります。
ただ、この当たり前が、実はビデオゲームでは必ずしも必須ではなかったりします。特に一人用のビデオゲームでは、ゲームを楽しんでもらうために必要な最低限のルールだけ教えて後はゲームをプレイする中で見つけてね、という進行が許容されます。(そんな中で「初見殺し」といったワードも生まれてくる訳です)
例えば、前述の「パックマン」では、プレイにあたり主人公キャラと敵キャラの存在、そしてレバー操作でマップ上のドットを食べ尽くせば一面クリア、あとパワーエサを食べると敵キャラを撃退することができる、といったルールさえ分かればひとまずプレイが可能です。
ところが、実は4種類いる敵キャラはそれぞれ決まった行動ルールを持って動いているので、それが分かると攻略しやすいよ、ということは説明されていません。
これは対戦プレイではないゲームだからこそ、攻略要素としての「後のお楽しみ」として成立していると言えます。
一方で、対戦ゲームであったなら、こういった見えないルールを知っているか知らないだけで勝敗の有利不利に明らかに影響する訳です。こんな、いわば「初見殺し」が発生するようでは、プレイヤー間で問題がこじれてしまうでしょう。
ですが、ビデオゲームは遊び方のルールとは別に、説明にはないシステムやメカニクスが制御している様々な動きがあり、現実的に全ての仕組みを開示するのが困難というジレンマを抱えていました。
2.必勝法、もしくは大幅に有利な遊び方の存在
ゲームはその大前提として、「必勝法が存在しない」というものがあります。
もし必勝法があれば、それを辿ればよいだけの話となり、ゲームの根幹である「楽しい」という部分が抜け落ちてしまいます。
少しややこしいのが、「いや、ゲームなんて遊びなんだから、変に頭使って悩むより攻略法とか見て、少しでも楽にクリアするに越したことはないよ。必勝法とかあればぜひ教えてもらった方が楽しめる」といったような考え方をする方も一定数いるという部分です。ただ、この話題は「ゲームをどう定義するか」という別の面白い話になってしまうので、ここでは脇に置いておきます。
さて、詳しくは後述しますが、「ストリートファイター2」では、対戦格闘ゲームというジャンルに加えて、使用できるキャラクターが8種類、それぞれ異なる特性を持っていました。それはとりも直さず、「相性」という問題を生み、そして、「強キャラ」「弱キャラ」という存在を生み出し、そこから、ある手法や技を使うことで相手を一方的に攻めることが出来る「ハメ技」が登場するようになります。
こういったある種の偏りは対戦ゲームの常ですが、アナログゲームであったり、ビデオゲームでも友人とのプレイであれば、「これは使わないようにしよう」といったローカルルールを設けたり、プレイ経験者が初プレイの相手にハンデをつけるために敢えて弱キャラを使ったりと、むしろメリットにも使えるのですが、他人との対戦プレイにおいては、そんなルールは確約されません。
ただ、当時ゲーム以外で対戦慣れをしていなかった人にとっては、「勝つ」ことと「空気を読む」ことのバランスを取るのが難しかった過渡期であったとも言えます。
じゃあ、今も過渡期だね、とは言わないで(哀)
3.審判の不在
1のルールの開示や2の「ハメ技」にも関係しますが、スポーツであれ、競技であれ、対戦にあたっては当事者で捌ききれないところを客観的に判断する「審判」の存在があります。
当然ながらビデオゲームにはそれがありません。
むしろ、対戦ゲームではデジタル装置であるビデオゲームが審判の立場に立って、定められたルール(システム)に従って正確に結果処理を行う構図になります。
逆に言えば、ゲームがNGとしないものは全て「ルール通り」と見做せます。
これは、少し風呂敷を広げると、初心者も熟練者も、正攻法のプレイヤーも、ハメ技しか使わないプレイヤーも、同じ一人のプレイヤーとして同等に扱うことを意味します。
ですが、この機械的な判別は、プレイヤー側からすると必ずしも満足できるものではありませんでした。
なぜなら、人間から見た「正しい」と機械が処理を行う「正しい」には、どうしても乖離があり、それは機械では判定できない「お互いが楽しくプレイする」という感情部分に依存していたからです。
誰でも、ゲームをするからには楽しみたい一方で、対戦するからには勝ちたいというのがあり、そのためには対戦格闘ゲームが置いてあるだけでどんな相手と対戦するか見当もつかないというのは結構敷居が高く、ゲームセンターも含めて対戦が楽しめる環境、つまりゲームセンターが審判的な位置づけで協力してくれる、という舞台づくりが必須でした。
ゲームセンターが主催する大会などは、その環境醸成にひと役買ったのだと思います。
補足.1プレイヤー1筐体
これは、石井ぜんじさんの書籍を読んで知ったのですが、「ストリートファイター2」稼働当初は、対戦する場合には一つの筐体で1プレイヤー、2プレイヤーを使わないとプレイできなかったそうです。
これは、相当対戦ハードルが高い
そう考えると、なるほど、「ファイナルラップ」は8人対戦ですが、当然一人一シートに座ってプレイしていて、しっかりとパーソナルスペースが確保されていた訳です。
「ストリートファイター2」が通信システムを導入し、2つの筐体をつなぐことで1プレイヤーが1台ずつを利用できるようになったのは1991年夏ごろ、そして年末には大手ゲームセンターを中心にそのスタイルが浸透していったようです。
以下、同じく「グレート・セブン・ゲームズ」の引用です。
通信対戦台を最初に設置したのは、メーカー関係者ではなく、一般の業者であったと思われる。最初に設置した業者については諸説ありはっきりしていないが、九州での設置がはやかった(1991年の夏ごろ)という情報が多いようだ。
筆者が確認した情報では、1991年の年末にはすでに関東でも通信対戦台がそれなりに設置されていた記憶がある。
2)非対称型キャラの対戦による相性の発生
「ストリートファイター2」の特筆すべき点の一つとして、対戦ゲームにもかかわらず非対称型になっていることが挙げられます。
前述でスポーツや競技種目を例にしながら対戦ゲームについて説明を試みましたが、これらの共通点として、勝者を実力通りに決めるために両者に極力平等なルールを設けている、ということがあります。ちなみに、「極力」と書いたのは、あらゆる対戦に置いて完全に平等というものは存在しないためで、この話も掘り下げると本当に面白いのですが、今回はスルーです。
ところが、「ストリートファイター2」では、それまで対戦格闘ゲームのノウハウがほとんどなかったにも関わらず、いきなり8種類もの異なる(まあ、リュウとケンはほぼ同じですが)非対称のキャラクターを対戦させるという挑戦を行ったのです。
これは単純に考えてとんでもないことで、同キャラであれば1通りのキャラの対決においてゲームが成立するようにバランス調整すれば良いのですが、8種類のキャラがいれば同キャラ対決も含め、8×8/2=28通りについて、対戦ゲームが成立するように調整しないといけないことになります。
しかも、このバランス調整は、一つを変更したら他の関係する全ての組み合わせについても調整しないといけない訳で、突き詰めればキリがない中でこれで行こうとOKを出した勇気に敬服します。
そして、この8種類の登場人物というキャラクター性が、「対戦の相性」と「特定キャラの愛着」(〇〇使い)という新しい考え方をビデオゲームにもたらします。
「対戦の相性」は、各技に対して(この中キックはリーチ的に有利、不利、など)書かれる場合もありましたが、メジャーになったのはゲーム雑誌上でダイアグラムにして10分率でキャラごとの相性を評価する形でした。
例えば、同キャラ対決であれば有利不利はなく5:5になりますし、有利なキャラは8:2や9:1と表記される、といった感じです。
この表記方法は、その後の二つの面で大きく発展に貢献したと思います。
一つは、初心者に入りやすいキャラを提示できたこと、また有利不利が客観化されたことでギャラリーの目を通じて「初心者狩り」や「厨キャラ(強キャラ)使い」を牽制するような空気感を作ったことです。
もう一つは、一度相性を精査することによって、その相性バランスの良くなかった部分を見直すことでより面白いゲームを提供できるようになった、という点です。
オンライン接続が前提になった今のデジタルゲームでは、ナーフ(弱体化)などのバランス調整は発売後の様子を見ながら適度に実施するのが当たり前になっていますが、当時のゲームは基盤ごと設計しますので、基本的には一度販売したらそれきり、というのが当たり前でした。続編を銘打っていても、基本的には別ゲーになる方が普通だったのです。
ところが、「ストリートファイター2」は違いました。
タイトルからして、続編は「ストリートファイター2ダッシュ」です。
つまり、「ストリートファイター2」のシステムと現行のキャラクターを継続をベースとして、キャラの相性バランス調整とプレイアブルキャラクターの追加に注力したのです。
そこには、優れたゲームシステムの存在はもちろん前提としつつ、「〇〇使い」といったように本来はそのゲーム限りのキャラクターに対してプレイヤーが強い愛着を感じたことも理由として欠かせなかったと思います。
そして、この「ストリートファイター2ダッシュ」が対戦格闘ゲームというジャンルを決定付けたと言っても良いでしょう。
以降、数多の対戦格闘ゲームが出ましたが、いずれも操作方法やパラメータの種類は様々変わりながらも非対称型のキャラクターの充実と対戦バランスの綿密な調整という部分は、変わらずゲームの柱となっていく形となりました。
3)駆け引きと戦術の発達
少し内容が冗長に過ぎてしまいましたので、最後3つ目は簡単にまとめたいと思います。
というか、
Vtuber、どこ?
というセルフツッコミもいれつつ。
対戦格闘ゲームは、当然、人と人とで戦います。
そうすると、これまでのビデオゲームにはなかった事態が発生します。
それは、
自分は100%思った通りにレバーやボタンを操作しても、それが成功につながるとは限らなくなった、ということです。
当たり前と言えば当たり前なんですが、これは衝撃的な事でした。
これまでのシューティングゲームやアクションゲームは、それがどんなに難易度が高いものであったとしても、対応方法をマスターして実践できさえすれば必ずクリアできる、という担保がありました。
ところが、相手が人間になったことで、その「絶対」がなくなったのです。
これによって、何が変わったか?
個人的な感覚になりますが、
これまでのゲーム攻略方法が平面的だったのが、重層的になっていったのだと思います。
例えば、シューティングゲームを攻略する時、これまでであれば、マップを憶え、敵の出現位置と攻撃方法を憶えつつ、安全地帯がないか、攻撃をどのタイミングで躱すのが良いか、などを組み立てていきます。
その組立は、Aを処理したらB、Bを処理したらC、ただ、Bの処理に失敗したらD、といったふうに常に次に一つの回答を用意し続けることで成立してのだと思います。
A → B → C (失敗) → D
という感じでしょうか?
ところが、対戦ゲームでは相手が次に何を仕掛けてくるかはわかりません。
そうなると、「もし、〇〇したらA、△△だったらB」という風に
対応を分岐して考える必要が生じてくるのです。
そして、この対応の分岐は1度だけでなく、2度、3度重なる可能性も出てきますし、その対応方法のバリエーションを予め頭に入れてプレイしたほうが有利になります。
A → B → E
→ F
→ C → G
→ H
→ I
→ D → J
→ K
ただ、シューティングゲームでマップを全て覚えるような考え方で、相手のアクションの可能性を最初から最後まで全て織り込んで覚えることは不可能です。ですので、ある程度区切りを設けてその中での対応方法をパターン化する必要が生じました。
そして、相手の行動パターンの予測の精度を上げ、駆け引きにより自分のパターンに引き込みやすい戦い方を整備することで自分にとっての戦術が構築されます。
一方で、対戦格闘ゲームの難しいところは戦術だけでは勝てないところで、その戦術に対応できるだけの操作技術を高める必要もあります。
いや、むしろ、ある程度操作技術が伴わないのであれば、戦術を考えるより出しやすい技を使うだけの方が良いまであります。
こうして、対戦格闘ゲームは、「初級者向けアドバイス」「中級者向け」「上級者向け」といったプレイヤーの多層化も生みながら、技術と戦術を極めるという、もはやスポーツに近い領域に足を踏み入れることになりました。
まあ、使うのは指なんですけど、なんて
ちなみに、プレイヤー同士を戦わせる形式の対戦格闘ゲームがインカム(収益)的にオイシイのでこのブームでゲームセンターが潤った(というか息を吹き返した)、というのは有名な話ですが、一方でアナログゲームの分野でこの構造を使って大幅な売上を伸ばしたのがトレーディングカードゲーム(TCG)です。
白状すると、私は先入観で、てっきりTCGが先にこのビジネスモデルに気付いて、対戦格闘ゲームが追随したものと思い込んでいたのですが、
1991年 ストリートファイター2
1992年 ストリートファイター2ダッシュ
1993年 マジック・ザ・ギャザリング(アメリカ)
日本語版は1996年発売
という時系列になっていますので、ビデオゲーム業界の方が先鞭をつけていたんですね。
これは結構新鮮な驚きでした。
5.そして、話は全然進まないまま次回へ
さて、対戦格闘ゲームのブームによって、その他にジャンルでも次々に対戦形式のゲームが登場することになるのですが、じゃあ、一人用のゲームがそのまま衰退していったかと言うと、そんなことはありませんでした。
・・・すみません、
衰退はしてました
対戦格闘ゲーム業界は「バーチャファイター」「ザ・キング・オブ・ファイターズ」シリーズ、「鉄拳」など、次々にヒットタイトル、シリーズを出していく中、それまで華形であったシューティングゲーム業界は、1994年に老舗東亜プランが倒産、同年「R-Type」でお馴染みのアイレムがゲーム開発部門から撤退。彩京やコナミ、タイトーが既存タイトルも活用しながらなんとか頑張っているという厳しい状態を迎えていました(彩京はその後、2009年に活動を停止)。
ですが、1997年、一人用ゲームに鮮烈な新風を巻き起こすジャンルが爆誕しました。
それが「音ゲー」です
コナミの「beatmania」の稼働開始。
それが、ゲームセンターで音ゲージャンルが産声をあげた瞬間でした。
ということで、なんとなく上手く(?)次回へ繋いだところで今回はここまでです!
(つづく)